自閉症の診断を受けるきっかけになった日のこと

「はい。ですから、前の小学校から来ている書類には高機能自閉症と書いてあります。」

忘れもしない、仕事帰りにドラックストアの駐車場に車を停めて、息子の担任の先生と電話で話していた。
その時、先生は間違いなくそう言った。

小学校3年生の3学期、息子は転校をした。
もうすぐ3学期も終わろうというある日、担任の先生から携帯に電話が掛って来た。仕事帰りだった私は、近くにあったドラックストアの駐車場に車を停めて折り返したのだ。
「この2カ月見てきましたが、今のままでは息子さんが気の毒です。まだ3年生なのに、なぜ学校に行かなくちゃならないのかと、まるで大人のような悩みを口にしています。」
先生が慎重に言葉を選べば選ぶほど、私の頭がフル回転する。
何を言いたくて電話を掛けてきたんだろう。
怪我をしたとかさせたとか、物を壊したとか、特別何か事件があって電話を掛けてきたのではない。息子の様子として気になったエピソードを、言葉を選びながら先生が並べている。
まるで、海岸で作った砂山の向こうとこっちから、トンネルを掘っているようなもどかしさ。
向こうから掘っている穴と、こっちから掘っている穴は、真ん中を探してうろうろしてる。
いまいちピンとこない返答が続く私に痺れを切らした先生が、ど真ん中を掘り当てるために絞りだした言葉が、冒頭の言葉だった。

発達障害を持った子供の親が、初めてその事実を告げられた時の心境の中で、一番多いのが「やっぱりそうか」という、衝撃と安堵の混じった感情なんだってね。
私も正に、それ。

でも待って。うちの子、診断なんて受けてないです。
高機能自閉症って、学校の先生とか、スクールカウンセラーさんとかが診断できるものなんですか?疑いの間違いじゃないんですか?
フル回転の頭でやっと取り戻した冷静で、聞いた私に先生が静かに答える。
「診断は専門医が下すものですし、ご両親の承諾なく学校が診断を行うことはありませんが、書類には疑いとは書いてありません。」

一気に募る、前に通っていた小学校への不信と怒り。
でも、今はその感情に押し流されている場合ではない。
息子のこれからのために、大きな勇気と決断を持って電話をしてきてくださった先生に心から精一杯の感謝を述べて、残り少ない3学期を託した。
あの日からはっきりと診断を受けるまでの間のことは、ほとんど覚えていない。
ただ、未知の世界の入り口で、気丈にいることだけで精一杯だった。


小学校2年生の9月、転校前の小学校の担任に呼び出されて学校へ行った。
「お家でどのように息子さんと接しておられるのか、お聞きしたいと思いまして。」という理由だった。
先生の隣には、スクールカウンセラーさんも同席していた。
先生は息子の喜怒哀楽が激しいことや、時々お友達と行き違うことがあることなど、学校での様子を話してくださった後、「思っていることがわかりやすいので、息子さんの様子を見て説明の仕方を変えると、それがクラス全体の理解にも繋がっています。息子さんの朗らかさがクラスを明るくしてくれるので、このクラスにはなくてはならないお子さんです。ただ、難しいことをやらなくてはいけなくなると、どうしても気持ちが不安定になってしまうようで。ご家庭ではそういうことはありませんか?どのように接していらっしゃいますか?」と尋ねてこられた。
それは、私が知っている息子そのままの姿だった。

私に話しかけて来るけれど、何が言いたかったのかわからないことはしょっちゅうで、私が他の誰かと話していても平気で割り込んでくるし、話し出すと止まらない。
思い通りにならなかったり、待たされたりするのが嫌いで、ぐずぐずと怒り出すと手が付けられない。とにかく待っていられない。
ところが、ひどく怒って泣きわめくのに、気が済むとさっきまでの癇癪が嘘のようにケロッとする。
突然の大きな音が苦手で、掃除機をかけ始めると死にそうな顔でしがみついてくる。玄関のチャイムでも同じ。
何より偏食がひどかった。
食べたことがないものは、自分から絶対に食べようとしない。
一口だけでも食べさせようと口に入れると、本気でえずいて吐き出す。
幼稚園のお弁当は、3年間毎日同じおかずだった。
私も息子に、違和感は感じていた。他の子と違う。もしかしたら発達障害かもしれない。そう感じることがあって、幼稚園の先生にも、通っていた学童保育の指導員さんにもお聞きしたことがあった。
今思えば、みんな息子の特性は見抜いていた。
ただ、私が困っていなかったから、指摘しなかったんだと思う。
すでに3人の子供を育て、12歳差で生まれた4人目の息子だったせいか、息子を育てにくいと感じたことはなかった。
ちょっと幼いけど、早生まれだし、この子なりにちゃんと成長してる。
そう思っていた。

全部お話ししたうえで、担任の先生とスクールカウンセラーさんにもド直球で尋ねた。
「こうゆうお話があるってことは、息子に発達障害があるということなんでしょうか?」と。
そして、その時にお二人は言ったんだ。
「いえ、そういうことではありません。」と。

なのに、なのに。
転校時、学校間で情報共有する書類には、高機能自閉症と書いてあった?
事実はシンプルなのに、それによって起こる感情は色とりどりに乱れて、一瞬、頭が真っ白になった。
もともとポンコツの脳みそだから、復旧には時間が必要だった。
家に帰って、息子がユーチューブに夢中な間に主人に一部始終を報告しながら、少しづつ、少しづつ、頭の回路を戻していく。

まずは、正確な診断を受けることだ。
ようやくそこにたどり着いたのが、その日のことだったかどうか、それすらもう覚えていない。

転校前の小学校に対して、思うことは今も少なからずある。
もっと早くわかっていたら、療育に繋げられたかもしれないのに、と。

あれから3年。
息子は普通級の中で、染まりたいのに染まれない苦しさと今も戦っている。


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