自分自身と他者が見る自分
札幌に帰って何もできなかった10月を経て、東京に戻り再び活発に動ける喜びを感じた11月となった。ゼミも対面での参加を再開し、私にとってゼミの時間は普段スルーしてしまいがちなことをじっくり考えるきっかけを与えてくれる場だと再認識した。
○何を基準に置くのか
自分が思う自分と他者が見る自分とでは乖離していると感じる事がある。最近では自分が文章を書くことに対する思いと自分の文章への他者の評価が噛み合わないと感じた。それが以下のツイートである。
他者が良いと言うからといって、それを鵜呑みにしてやるのが良いのだろうか?
一方で、自分が良いと思っても、他者から評価されないものはやらないべきなのだろうか?
自分と他者の間に認識の乖離が生まれることは少なくない。しかし、その乖離でもどちらの意見を尊重するかによって同調圧力に繋がってしまうのではないかと私は考える。
同調圧力に負けて自分の行動を選択すると、自分の意思がそこには存在しない。行動の結果がいくら評価されたとしても、内発動機付けで動いているわけではないからいつか限界を迎える日が来る。
だからこそ私は、苦しくなるんだったら私は他者の評価より自分の意思を優先したいと強く思った。
○まとめ
自分を客観視することは難しい。だからこそ客観的に自分のことを見ることのできる他者の意見が全て正しいと思いたくなってしまう。しかしそれを自分の100%の基準にしてはいけない。自分に軸を置いて、内発的動機付けをして脱同調圧力を図っていきたいと私は思う。
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