空間の共有
初めて越境活動をし、滑り出しは好調であったが、自分の身に予想もしなかったことが起き一転した10月。東京から札幌へと戻ることになり、800km離れた地で授業やゼミに参加し、場について考えることがいくつかあった。
○イベントという空間
10月3日。IKEBUKURO LIVING LOOPという池袋の大通りでマーケットを開催するイベントにボランティアキャストとして初めて越境した。自分の初めての越境を振り返って以下の感想を持った。
初めての越境、初めての空間、初めて会う人達なのにも関わらずなぜ私は心地よいと感じたのだろうか。それはツイートの中でもあったが他者とのコラボレーションの中に答えがあると私は思う。日常生活でのコミュニケーションでは同調や同感を求める傾向にあった。共通の話題が見つかれば話は盛り上がるものの、何もなければ苦痛の時間になる。しかし、ここでは同調や同感というよりも、相手から新しい発見や気づきを得ることが多かった。その理由として、お互いが人に視点を置いているのではなく、場に目線が向けられているからだと感じた。また話すことだけではなく同じ作業を行うことで心でコミュニケーションをしているという感覚になった。イベントという同じ空間を共有することで感情の共有もできるのだと感じた。
○一人という空間
10月14日。この日のゼミはオンラインとオフラインで全く別のことを行なった。オンラインでの参加者は私を含め3人のみで、妄想紙や卒論の制作を行った。途中話をすることもあったが、基本的にはそれぞれがブレイクアウトルームに分かれ一人で制作をしていた。いつもの妄想紙作成とは全くの別物だと私は感じた。その日のゼミが終わった後、私はこのようなツイートをした。
一人の空間というのは集中しやすい環境のようでそうでないことに気づいた。他の人と話をしなくても、姿や取り掛かっている姿勢が目に入るだけで取り組みに対する気持ちが違う。他の人が動いたり、話したりと常にその場が変化しているからである。一方で自分一人しかいない環境で変化を作るには、音を流してみたり、場所を変えてみたりと工夫をしないといけない。空間を共有することで、それぞれ個人の取り組みにもたらすものがあるのだと感じた。
○まとめ
ボランティアスタッフやZoomでの妄想紙作成を通して、オンラインとオフラインどちらでも、同じ空間を共有するということが人に良い空気作りに繋がると感じた10月であった。友人間の会話でもそうだが、何か同じものを持っているということは感覚は人に安心感を与えるのかもしれない。
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