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数学の幻想だった

高校の数学


「数学であそぼ。」という漫画を読んで衝撃を受けた。

高校時代、微分積分が急に解けるようになった。
理由は、第一に数学の先生の教え方が素晴らしかったからだ。解き方を上手に叩き込んでくれた。そして、基礎的な問題集を分かるまで解いたからだと思う。

高校の数学は難しいと思った。数学は一つ一つ積み重ねていくものらしい。梯子を登っていて一段欠けると次の段を上るのが難しい。

中学までの数学は、理屈が理解できる。生活とある程度関係しているし、今後も役立つだろうと思われるが、高校の数学は何段もステージを飛び越えていく難しさがあるような気がしていた。

数学の点数が上がったときは、ただ、高校の先生が教え方が上手でラッキーとしか思っていなかった。そして、解けるのだから、理解しているのだろうと思っていた。

一冊の漫画を読んでその訳を理解した。そして本当に数学を理解した訳ではないと気づいた。


暗記していただけだった


私は解き方を覚えただけで、真に理解していた訳ではないのだった。問題を解くパターンを覚えているだけで、微分積分とは何か、何を意味しているのか。何のために微分して何の役に立つのか。どうしてこの方法があみ出されたのか、背景が分かっていない。

ただ、勉強のための勉強、成績のための勉強、受験のための勉強。
大学は、経済学部に入った。経済の授業の中で、微分積分が使われた。開発経済学(発展途上国が発展するためにどのような政策をとればいいのか、先進国との比較などなど)という授業があって、その中で、微分積分を使っていた。
今から思うと、勉強しないあほな学生だったが、その授業で、微分積分の実践的な使い方を学んで、面白い、実際に役に立つのか、とかすかに感じたのだ。

それから数十年。今まで、微分積分を生活の中で必要だと感じたことはない。残念ながら。

そして、「数学であそぼ。」を読んで、衝撃を受けたのだ。
そういえば、小学校の時の掛け算だって、丸暗記だった。分数の割り算も、ピタゴラスの定理も、暗記して、問題解いて、頭に叩き込んだんだ。

大学の授業では、微分積分の理解と納得感を得た。
高校までの勉強では、余計な思考は必要ない。ただ、機械のように暗記して、ドリルする。
これは、「効率的」だ。本当に。

効率的に叩き込むやり方。これが勉強だと。
そして、理解ではなく暗記であったということも気付かなかった。

限られた時間の中で決められてカリキュラムをこなすために、取られてきた教育方法だった。たくさんの生徒に同じ能力を身に着けさせるための方法だ。優れた面もあるし、問題もある。

これは、思考停止に陥るな。自分を客観視することが難しくなる。


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