淡雪のように消えてしまう家事と消える私の輪廻転生について

てなわけで、しみじみと私が好きな家事について考えていたわけです。どうも皆さん、コンバンハ。

今一番楽しみな家事は、最近買った湯たんぽを家族が寝る前に布団に仕込むことです。その次に楽しみなのが、伊予柑の皮を剥く事。伊予柑、剥けるのが早いか、家族に食べられてしまうのが早いか。

行った途端に散り散りに消えてゆく家事はとても愛しい。誰が誰のためにやったと名付けるまもなく消えてゆく日々の事柄。

あげるよ、あげるよ。わたしをあげるよ、無くなってもいい、消えてもいい。さあ私を食べて。と、気分はアンパンマン。どうして私が真理を追求するとやなせたかし先生がそこにいるのか。

奉仕心への自己陶酔、って括ったら、面白くもおかしくもなくて、そんな意味じゃなくて。消費される私消える私が、あの子達のあの人の血肉になって私は私ですらなくなり脈々と生き続ける。

若葉の頃を経て実を付け朽ちて死して腐葉土になってまた根から吸いあげられる。何かになる。ぐるぐる回る。生まれ変わり死に変わり生まれ変わり死に変わり。

わたしはわたしは消えていなくなってしまいたい。そしてこの世界にいつまでもいすわりたい。ある日は豚の産毛に、ある日は魚の一枚の鱗に、風に舞う綿埃に、人参のしっぽに、まつ毛の一本になり代わりすり替わり震えながら踊るようにこの瞬間だけを光り続けたい。言葉のない一粒の光になって、ああ、私は今この瞬間に消えてしまいたい。

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