日傘の女(左向き)と忘れられない思い出について


好きな絵である。この絵は、『睡蓮』で有名なモネが、パトロンの娘、シュザンヌ・オシュデを描いた絵なのだが、彼はこれによく似た絵をもっと前に描いている。

それがこちら

こちらは、上の『日傘の女(左向き)』が描かれる約10年前モネが最初に持った家庭の、妻カミーユと息子のジャンを描いた絵だ。カミーユはこの絵が描かれた4年後に病没し、更なる年月を経て描かれたのが上の『日傘の女(左向き)』である。

見て分かる通り、顔が見えない。強い日差し、強い風、夏草が伸びている。薄水色のスカーフと白いスカートが風になびいている。赤い花飾りがファッションのアクセントになっている。

シュザンヌの姿に、カミーユを重ねた、記憶のような絵だと思った。

顔がない、顔だけがない。

それはなんだか、とてもよくわかる。

楽しかった思い出を思い出しても、思い出すのは一緒に笑い転げた友達の顔ではない。好きだった人を思い出しても、その人がわたしの目を見てた時の表情を思い出したりはしない。

なぜか思い出すのは、暑過ぎる午後や、車を止めた駐車場の暗さや、歩き慣れない街の商店街の気配、よく着てたポロシャツの柄、落ちついた声、白い手のひら、その人と共にあった全ての気配が愛しいのに、その人のことは思い出さない。

私はあの人が本当に好きだったのかしら?友達のこと本当に大切にしてたのかしら?

それはまるで顔がない日傘の女のようで。

でもだな。でも。

それこそ一枚の絵のように、あの人がいる、あの子と遊んだ、あの世界を熱烈に恋していた、私の激しい思いがそこに焼き付いているのだと思う。

好きだった人も友達ももういない。会わなくなっただけだけど、きっとどこかで生きているに違いないけど、あの頃のその人たちはもういない。

ただ私の心の中に忘れられない風景とともにいつもある。私があの人たちを愛した時、私達が存在した世界もまた私を愛してくれていたのかもしれない。だから何げなくてもずっと忘れられないし輝かしく残っているのではないか。

あなたのことは思い出せないけど、あなたがいた気配だけずっと消えない。色あせず、何度も思い出す、愛しい思い出。

ねえ、モネさん。今は今で幸せだけどさ、あの時はあの時だけの幸せがあったよね。その日のことを思い出すからあなたの日傘の女の絵、大好きだよとモネさんに話しかけたいなあと思った夏の午後でした。


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