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もしも泣いていたらきっと何も起こらず時間が経つだけだろうね。
生きてから死ぬまで泣いている暇はないこと、誰か大人になるまでにちゃんと教わった人は
いるかな。
だけれどもし自分が子どもにそんなこと包み隠さず教えてあげられるかって、そんなことはできないかもしれないね。
こうして主観的な涙に意味はないって考えることはできる。
それなら笑顔にも意味はないとも考えることができる。
人生を血の通わないゲームみたいに考えることは時として自らを助けるかもしれないけど、正しくはない……
なんてことはない。
正誤のないことだ。
と、考えることもできる。
どんな考え方だって自由自在だ。
心の支えだって、適したものに自由に替える。
そんな薄情な生き方をしている人がいるとき、その中でずっと変わらず自分の中にあるものがあるとしたならそれは多分とても少ない。
それを信じるとか信じないとか考えるのも、自由自在だ。
それは罪かな。
たとえば、命を粗末にするのは悪いこととか、意味や相対的なことはわかるけれど、絶対的なこととして考えるとたまによくわからない。
犯罪を絶対に犯さないとか、頭がおかしくない絶対の自信が自分にあることもよくわからない。
ニュースの加害者の気持ちがわかったことは、1度もないか?

周りに合わせることはわりと必要と思っているし、法を軽んじる気持ちもなく他人に迷惑をかけることとても嫌だと思っているけれど、いつでも気づいたら正気ではない。
歩んできた道はいつでも途中ですり替わっている よね。
いつでも法をおかしていないかの確認で精一杯だ。
寒い こころだ
暖炉風の電気ストーブが稀に着いて、セロハンの炎がちろちろやってる、心でいる いつでも 愛する人たち


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