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1月16日 いまは浴槽のなかにいる。

どういう仕組みなのやら、ヘッドフォンをつけてお風呂に入るといつもよりあせをかく。
目に汗が いまは浴槽のなかにいる。

最近よいワイヤレスヘッドフォンを買って、なぜ今まで思い至らなかったのか……。
家でデスクに向かっているとき離席のたび外さねばならないし、何よりコードがストレス。
ワイヤレスにしたらとっても快適で、そろそろお昼……と少しキッチンに立つ時もヘッドフォンでラジオを流しっぱなしでさっとゆける。
ノイズキャンセリングもとってもすごい。
オフ-大-小と切り替えられて、大にしておけば今まで気になってた微妙な可動音などに悩まされない。
他でもたまに聞が、最近のノイズキャンセリングはすごいのだ。

それで、つけたままいま浴槽まで入っているのだ。

自分で体験しないとわからないことがあるとはよく言われたものだけど、自分で何度体験して結果と過程が繋がっているのをたびたび確認しても、信じる気持ちになれないこともある。
みんなは受け入れることができるのだろうか。

わたしは文字で表すとき、回りくどく硬い表現を好んですることも多く、それは海外の翻訳された文学をたくさん読んできたからかもしれないとおしゃべりをしていて思った。
あと、推理小説。
推理小説は古風なものほど、海外がルーツだからなのかその性質によるものなのか、まるで一度翻訳にかけたような感情の薄い表現をする。
わたしはそれをとても美しく心地よいとずっと思っている。

↑翻訳したような、とうったのを翻訳にかけたような、とうちなおした、翻訳にかける、の方が現代では身近なように思って。

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