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11/10 ホラー映画

ニコライ・ゲーという画家の絵が気になっていて、図書館に行ったのだけど、画集や文献置いていなかった。
うーん全く知らないから、突然画集を買うの少し躊躇ってしまうな……。
図書館では別の画集を幾つか借りた。
錯視芸術の本と、エル・グレコの本と……あとなんだっけ。
あとはミステリ。
宅急便で届いたのは、購入したカラヴァッジョの画集と文献。

金曜は『IT/イット"それが見えたら終わり。"がテレビ放映されていたんだね。
私はそのときみんなでBBQをしていたので観ていないけれど、随分賑わっていたタイムラインに影響されて昨日レンタルで観た。
続けて『エスター』というホラー映画も観た。感想はサクッとTwitterやWATCHAに書いたから省くけど、どちらもとてもおもしろく鑑賞した。
近頃ホラー映画が面白い。
素晴らしいと言われる映画作品にはホラーや、ホラーに片足突っ込んでいるようなジャンルのものが多く、怖がりのわたしは避けてきたのだけれど、それではあまりに損をしている。
喜びや悲しみ、どの感情も等しく尊いものだけれど、その中でも恐怖、恐怖を観客に覚えさせるというの特殊なことに感じて。
「驚かす」だけならシンプルかもしれないけれど。
たとえば喜びや悲しみで涙を流すことに対して、心の隙間に入り込むような恐怖という感情はとても繊細で複雑、奥深いものに感じる。
観客にその情感を訴え与えるのには、絶妙なバランスでの表現が必要で、光や音、色、勿論感情表現などの演技、細部まで丁寧につくられているのを圧倒的に感じる。
その様子は芸術作品としても自ずと素晴らしく、恐怖とともに作品として感動してしまう。
音楽や絵画でも、たとえば何だか不気味に感じたりするものはよい丁寧に作られた作品が多いのかもしれない。
目の届かない暗部や細部まで深く深く作り込まれて、見えないけれどこの先どこまで続くかわからない穴がずっと伸びている……その発見されるかもわからない、明瞭には見えない穴を掘り続けた作者という存在にもえもいわれぬ恐怖を感じるものだろうし、意図やそこに何があるかわからない、未知の感情はシンプルにそもそも恐怖だ。

遅ばせながら最近気づいたのだけど、そういうことがよい作品たらしめているのだなと。
すべてが目に見える作品は、よほどそれがコンセプトとされていなければ、深みのある作品とはならないのかと。
目に見えるものを増やすために製作時間を使うのではなく、見えないものを表すのに製作時間を費やすのだ。

今まで避けてきたホラー映画は新鮮で色々なことを教えてくれる。
これから避けてきた分観ていきたい。

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