11月1日 1番好きな炊事

1番好きな炊事は、米を研ぐこと。
柔らかく優しい研ぎ汁の匂いと色と感触に緊張が解ける。
冬には差し込んだ冷水に、身体が驚くのもたのしい。
無洗米なんてとんでもない。

煮て甘くくたびれた玉葱が好きで、よくたくさんの玉葱を使う。
手に少し、石鹸でも落ちない玉葱の香りが残る。
そのことが、以前よりも好きになっている。

特別料理上手でもないしコンビニの物もおいしいと思うけど、すべて自分好みに作れるという意味でも、やっぱり手料理はおいしい。
売り場による、食材の値段や味の差も感じられるようになった。
旬というものも……。

いま、豚汁をよくつくる。
最後に溶き入れる味噌を容器から掬い出したとき、やわめのチーズケーキみたいにふるふる揺れるのを愛おしいと思っている。
里芋を買い忘れて、ひどく落ち込む。

肉じゃがも、よくつくる。
肉じゃがに関する全ての過程の中で最も難しいと思うのは、いざ食事どき鍋から器に移すとき、じゃがいもの角をお玉で削らずにおくことだ。
あ、かどとりってそのためにするのだろうか。

じゃがいもの芽は毒だといってとりのぞくけど、食べたらどうなるのだろうか。
芽だなんて言われると、どうしても、おへそから植物が生えてきて最終的に植物人間に……みたいなのを想像してしまう。
じゃがいもの芽は食べたらどうなる? は、大概の人間が死ぬまでに1度は考えるものだろうな。

以前何度か、フライパンで焼き鳥を焼いた。
グリルが無いので。
その時最も難しい過程だったのは、焼く前に竹串に肉を刺し通す作業だ。
焼く前の肉は滑りやすく、皮部分はゴムのような耐久性もあってひとつ通すのにも一苦労だ。
力任せに押し込んでいると、突然串が通って、勢い余り鶏肉の向こうにある指まで刺す。
1本用意するのに指も体力もずいぶん削られた。
そのあと行ったどんな料理の過程より難しかったといまだに思い返す。
お好み焼きをひっくり返すより、オムレツをうまく丸めるより、難しくて痛い。

料理をしはじめた頃、包丁で肉を斬る感触がとても気になった。
その、生命的で生体的、まさに生々しい命を断つ感触に、まな板の上で人を殺しているようだと思った。
正気が自ずと遠のくようなその感触に毎回気分が悪くなり、毎日料理をしている人は、よく平気だなと思った。
料理を殺しと思ったことにその時、反射的に(ごめんなさい)と思ったものだが、これもまた反射的にすぐ(これでいいのか)と思った。
料理と食事は生命を食んで頂くこと。
それを当たり前と盲目にならず、他の生命を殺して生活をしていることを忘れない。

今はその頃ほど肉を斬るたび気分が悪くはならないが、忘れないでいたい気持ちだ。
というか、こんなにグロテスクなことを毎日たくさんの人がしているとわかったのがかなり衝撃的だったので忘れられない。
両親も、駅や都心ですれ違う無数の人も、みんながみんな家に帰れば昼夜と言わず板の上で無表情で肉を斬っている生き物だったなんて……あまり料理をせず、完成品ばかりを前にしてきたから驚いてしまった。

先日クリアしたゲーム、テイルズオブアライズで、良家の生まれのキャラクターが「毎日目の前に出てくる料理の肉が、もともと海や陸にいる魚や獣だと知った時は衝撃だった」というようなセリフを言っていて、この台本書いた人すごい着眼点だなと思ったが、それと同じことだったかもしれない。
私は貴族でないけれど。

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