ガス・ヴァン・サント『追憶の森』

監督の繊細な色や光での表現手法は期待通り美しかった。
気になった点は、日本の富士の樹海という場所が、おそらく平均的な日本人の価値観では過剰に神格化されているように見える。
東洋の輪廻転生思想に基づいていることも理解できるし、日本に神秘や魅力を感じて表現に選んでくれたのも嬉しいけれど、日本ではかえって馴染まないジャパニーズニンジャ状態に見えてしまうなと。

更にさらっと通して見た印象だと、たくみの隠された正体も含め一見都合の良すぎるストーリーも月並みに感じる。
あまりにも良いタイミングで登場するテントや死体(の遺物)、その高さや傷ならここで死んでいるか歩けないだろという幾度かの怪我、その極寒で寝ている最中に焚き火が消えたら死ぬのでは……などなど。

幻想的で美しい色と光、そしてストーリーを都合の良い冒険譚の型にはめることで童話のように仕上げ、思想や教訓を感覚的に抽象的に楽しんで欲しいのかとも思ったけれど、その割に回想として挟まるシーンがあまりにも肉感的で幻想的な雰囲気から覚めてしまう。
このチグハグな感じも含めて、樹海の神秘性を描こうとするあまり他がおざなりになってしまったのかな? 映画祭でブーイングを浴びたらしいけど、ちょっとわかるかも……。

と、第一印象では思っていたのだけど、

例えば、前述した致命傷に感じる怪我や焚き火が消えてしまった夜に、実は彼が死んでしまったか朦朧とした瀕死の状態になってしまったとしたらどうだろうと考えた。
その後の、満身創痍ながら不自然なほど都合の良い展開や、生還も果たし自らを省みて新しい生活を送るハッピーエンドも三途で見た夢だとしたら。
不自然に質感が違うリアルな回想シーンにも説明がつく。
森での出来事とは違ってこちらは過去現実に起こったことだから。

そもそもあの監督がここまで軽く薄い構成を他に明確な狙いも無く組むとは思えなくて、こういう意匠がこらしてあるのなら納得できるなと。
本当のところはわからないけど、結局自己補完で果てしない深みを楽しむことができた。
しかしこれが正解だったとしてももう少し鑑賞者にその仕組みがわかると良かったのかな。

更に穿った考えで、表面だけ一見すると月並みでややチグハグなドラマに仕上がっていることを重々承知の上で、世間へ挑戦や実験のつもりで映画祭や公に送り出したのなら心から監督に称賛と畏怖をおぼえる。
わざわざたくみの正体という最もらしい隠蓑のパンチラインまで用意して。
その上で真意をどれだけの人が見抜けるか、若しくは自分なりの答えへの獣道を見つけ出して追及できる客がどれだけいるか、観察をする。
それで映画祭のブーイングやあまり振るわない世間のレビューすら呑み込んで俯瞰しているのならやはり恐ろしい逸材だ。

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