3/29 最後の餌
人を殺したり、殺人に加担したかもしれないことが警察にばれ、まさに今裁かれに警察に出向かなければいけない、これから長い留置所・刑務所生活が始まる……警察までは親に車で送ってもらわなければならない、実家へは既に私のせいで匿名の嫌がらせが始まっている、私は飼っている動物に最後の餌をやる……
という夢をみる。
ここには何度も書いてるが、ディティールに変化はあれど、殺人にまつわる罪について足がつきこれから警察の厳しい追及を受けなければならない、それは親も不幸にしている……という夢を昔から何度もみる。
何度もみすぎて、私はひょっとして昔本当に誰か殺したのか? とちょっと思ってるくらいずっとみている。
これも何度も書いてるが。
殺す瞬間の夢はみたことないので、本当に殺したのか自分でもよくわからんとこがまた気持ち悪い。
そういう夢をみる時はたいてい、自分の持つ倫理に鑑みて最大とも言える罪を、自分が今犯していると思っている時だ。
そして夢にまでみるということは、その感情に蓋をしようとして、それに罪悪感を覚えているということだ。
私の場合は。
夢の中で母に警察まで車で送ってもらいながら思ったのだが、
無神経にみえる大人がひとりここに居たとして、
例えば周りには「よくあんなことしてここにいられるな」とか「なんでこんなこと他人に対して平気でできるんだろう」とか思われている。
それは親に直接無神経になるようなひどい育てられ方をしたわけではなくて、頑張っても頑張っても好きな人の期待に応えられず、言い訳もできず、子どもだから力がなくてどこかひとり遠くへ行くこともできず、ここで今俯くしかない。自分の罪にいまひとつ気付いていないふりをすることしかできない。
ということが人より恒常的で、そうすると無神経にみえる振る舞いをする大人が出来上がるのかもしれない。
自分なりに頑張って生きていても、周りの期待や倫理に沿うことができない、頑張れば頑張るほど、最終的に自分のしたことに気づかないふりをして内心俯くことしかできない結果になっている。
謝るということは悪事と分かっていながら行ったと公言することで、そんな恐ろしいふるまいはできない。
自分のしたことに気付いてないふりをするしかない。
夢の中で警察に向かいながらそう思ったよ、母の運転する車でね。
まあ、子供の頃の環境如何で大人になった時の人格が決まるというのは、真偽にかかわらず言いたくない。
ついでに夢占いも、エンタメとしてみるのは楽しいが、まにうけて真剣に自己分析なんかに用いるのは好きじゃない。
何かに自分を決めつけられるのは嫌だ。夢占いも性格診断も。
本能的にいちばん嫌だ。
男に産まれてても絶対同じことを思ったが、私の知らないうちに勝手に決められたという理由で、自分の性別もずっとちょっと嫌だ。
身体に私のものでないような違和感がある。
1000字だ。
さすがに夢見が悪すぎて二度寝できる気がしない。
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