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7月14日

なにを?
ハーブティきらしそうだな。
ハーブティ、無いと嫌だなあ。

誰かのファンになった時どんな人か勝手にイメージするのに誕生日や星座、血液型などもほんの少し参考にします。
それで、もし同じ星座だったりしたら、似てるとこあるかな? なんて勝手に想像するのかもしれないけれど、生まれ年も含めた生年月日そのものがほとんど同じだと、もう事実として生きてきた日数が現在に至るまでほとんど同じということだ。
ふるさとが同じであるように、それが紛れもなく事実なのは、似てるだのなんだのよりシンパシーを感じるね。
道は違えど同じ距離を歩いてきた人を、自分と相対させて見るのもたのしい。
基本的に東京で育っているので「上京」もしたことがないし、同郷に感激することもあまりないけど、こんな気持ちかな。同郷の感動って。
世代も一緒ってことだしね。

また珍しく、少し眠るのが苦手になっているかも。
病んでる……すごく落ち込んでる……なんてことないのだけれど、何だかロボットみたいになって、嬉しいこと楽しいこと、好きなものもいつだって日々増えていく、そのすべて嘘ではないけれど、感情をとても客観しています。
好きなものを好きになっています。
楽しいを楽しくしています。
こんなことがあったから悲しいということになりました。
感情が偽物っていうほどでないけれどいつだって脱げる感情って感じています。
空腹と食欲も繋がらなくて、お腹がグーとなっても食べたいと思わない。
今日は予定前に渋谷を歩きながらのゼリー飲料だけで夜になって、特に何かを追加で食べたくもない。
最近はこんな感じだからいつでもお腹がグーグー鳴っているのだけど、それが食べたい、求める気持ちに繋がらないのでそんなに空腹がしんどいこともなく何も気にせずそのままでいます。
むしろ周りの人が、この人いつもすごくお腹を空かせている……と気になっているのではないかな。会社の隣の席の人とか。
ロボットみたいになって、食べるも寝るも、求める気持ちがなくなります。
次は性欲でない恋心かな(何だか随分前から知っている気がするな、これは)。
これは進化かな。
こんな風にロボットぶる生活を試しに送るもまた 人生は一度きり、なんてゲームみたいに人生見るのもまたたのしい。

強い気持ちを持って邁進すること、感情を捨て枷をなくして前進すること、たとえば努力のしかたもさまざま。
そこに情や感情、志が(見ようによっては)伴っていなくても努力と勉学を積み、邁進していることもある、人生をゲームのように見ることでおこなう人並み外れた『努力』もある。
努力を努力と思わないようにする作戦ってことでもあるから、本人に言わせるのは難しいけれど。
『人生はゲーム』なんて言う人がいたら、何だか一生懸命生きていなくて人生頑張らずなめてるなぁって思うかもしれないけど、全然そうとも限らないなって。
極端な言い方だけど「しっかり頑張らないと」て言う人より「人生はゲームだ」と言っている人の方が、努力をしていることだってある。

ロボットみたいになるとつまりそれは、わたしがいなくなる感覚になる。
心がなくなると、わたしがいなくなると感じる。
すべて疑似体験でも、面白い発見だ、それはきっと先入観の。

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