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9月5日 湯桶読み

本を読むとき、気になった表記があるとそこに付箋を貼っておいて、読了後に調べて(アナログの)ノートにまとめることを習慣としている。

先日『美濃牛』という何かとどっしりしたミステリを読み終えて、その本に挟んだ付箋部分をネットで調べた。
そのうちの1箇所が『湯桶読み』に関しての表記だった。
登場人物が自分の俳号『春泥(シュンデイ)』を指して、「湯桶読みするとはるでい、パロディ。江戸川乱歩が作中で自身のセルフパロディとした登場人物を大江春泥としたことにも因んでいます。」というようなことを言う。
江戸川乱歩=大江春泥という部分にも興味があったし(『陰獣』は読んだはずなんだが、はるでいに関しては全く気づいてなかった。)、私が一読して文章を正しく理解できず、春泥って湯桶読みか? と思ったので付箋を貼った。

ひとまず大江春泥に関して調べた後、『湯桶読み』で検索した。
湯桶読みの意味自体は、音読み訓読みを所謂重箱読みとは逆の順序で組み合わせた語の読み方であるとすぐ出てきたが、説明の中で和語、漢語、そして混種語という言葉が使われていた。
和語というのは大和言葉とも呼ばれる日本出自の言葉と読み方のことで、読み仮名としてはひらがなで書かれる。訓読みだ。やま、とか、みる、とか。
対して漢語というのは主に古い時代の中国出自の言葉と読み方で、読み仮名はカタカナで書かれる。音読み。サン(山)、とか、ケン(見)、とか。
そして混種語はそれらを合わせた語とその読み方で、湯桶読みや重箱読みもこの分類だ。

ニュアンスでは感じ取っていた気がするが、音読みが中国の出自だと改めて認識した。
音読みも訓読みも身近にあるものだからいつからか日本の言葉と性質のような気がしていた。
そうなると、日本語の読み方として認識していた重箱読みや湯桶読みも中国と日本の混血でうまれた新しい言葉のように思えてくる。
混種語は混血語とも呼ばれるそうだ。

更に大和言葉……訓読みの一音目に濁音・半濁音がくる単語は一部のものに限られるとあった。
言われてみるとパッと思いつかないし、古い日本の文献を思い出すときその文面はさらさらしていて濁らない印象だ。
wikiには抱く、薔薇、という単語が例として載っていたが、これも元々はいだく、いばら、と一音目が濁らない形で呼ばれていたとのこと。確かに。

更に更に、語頭にラ行音が来ない、これはアルタイ諸語と共通する特徴である。
というふうに書かれていて、こうなると『アルタイ諸語』が俄然気になってくる。

こうして何かをきっかけにまだ知らない・知りたいことがどんどん広がっていくとき、追いつけない悲しさや焦りもあるけど、本当にワクワクして楽しい。1番楽しい瞬間かもしれない。
初めて訪ねる図書館に一歩踏み入ったときと同じで、ここにまだ知らないことがたくさん詰まっていて、これからこれらを新しく知り続ける充実した時間が待っている! という未来へ向かった輝かしい気持ちだ。
生きていて、未来へ気持ちが向かったり、長く生きていたいと思うことがまず無い性格だけど、この新しい知識の道が延びた瞬間だけは知り尽くすまで長く未来を生きていたく、そのためなら何でもしたいという活力が湧く。
知ること自体も楽しいしすべて知りたいとも思うけど、何よりもこの自分の無知を自覚して、知ることがまだ無数にあると教えられるときが、本当に生きていたい。

ところで、そもそも『春泥』が湯桶読みか? という私の読み間違いから調べ始めたんだけど、やっぱり春泥は湯桶読みではなかった。
それでもまだ『大江春泥』が何らかの湯桶読みだと示唆されてると思っていたその時の私は「まさか姓・名で湯桶読みということ!? おおえシュンデイということか!」と閃いた(勘違い)。
『美濃牛』の中で春泥を俳号にしていた登場人物の本名も石動戯作(いするぎギサク)、大江春泥をセルフパロディの写し身とした江戸川乱歩(えどがわランポ)も湯桶読み、もっと言うなら乱歩の本名である平井太郎(ひらいタロウ)も姓名で見れば湯桶読み……! そういう……ことか……ッ!! (勘違い)ともう一段勝手に感動して膝を打ちまくってしまった。
考えてみたら、姓名が湯桶読みって日本名によくあるよね。
私は姓名全部訓読みだけど。

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