7月4日 助詞を抜いて

随分随分久しぶりに、昼過ぎまで眠った。
忌避しているうち、起きたら昼過ぎなんてことは
気づけばすっかり無くなっていた。

夢に男たち。
が近頃かわるがわる出てくる。
夢の男たちとの関わりは、いつも他人以下だ。
……別に男でなくても、他人と近い距離で過ごす
夢なんてみないな。想像力だ、と思う。
きっと自分に想像できる、想像に易いことを夢にみるから、
日頃起こってほしくないと思ってる仕事の失敗や、
推理小説じみたシナリオの夢を見るのだ。
夢でみたことは経験値になるかとずっと考えてしまうが、
経験したことしか夢にみないのなら
そういう意味で経験値として堆積はされないのか。
……想像力で夢を見るというのと、
経験したことしか夢にみないというのは
紙一重、いや紙三重くらいで矛盾している気がする。

夢をみる、夢でみる
と言うと、眠ってみる夢のことに読めるが、
夢みる
と助詞を抜いてしまうと、とたんに
希望や展望の夢に読まれる。
助詞を抜いているってわけじゃなくて
夢みる っていう動詞なのか、既に。最早。

午前3時以降にランニングの習慣をつけたら
最近いよいよ就寝が午前6時を過ぎていて、
さすがに疲れがとれない。を体感している。
しかしランニングののち気分転換が成って、
まだ少し机に向かえるようになるお得感、オトクカン
が癖になっていてやめられない。

物事とそれについての言葉が、水中の空気みたいに
次々生まれては水面に浮かんで消えていくようで、
一瞬前の閃きがもう思い出せずに
他の閃きで上書きされる。
水槽に沈む、なんか機械の、出す、酸素のアレみたいだ。
『水中の空気』って、つまり泡のことだけど
泡のことを水中の空気ってあんまり認識してないな。
泡は泡だ。
石鹸からうまれるあぶくも、水中……ではないが
水に包まれた空気のはずだ、多分。
これは想像力や好奇心の欠如だ!
泡は泡たるため何をどうしてどうなれば何がどうやって泡として泡になるのか無意識に意識して観察する生き方をしなければ泡の正体ひとつ真に捉えることはできないのだ……泡は泡たるためあわたるときあわであるなら……。

あわ…………

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