One Dystopia,One Hope

γνῶθι σεαυτόν

パウサニアス『ギリシア案内記』10.24.1

 どうも皆様おはこんばんにちは、ノノスタでございます。いかがお過ごしでしょうか。何だか急に夏っぽい感じになって寒暖差のジェットコースターって感じですね。

 さて、昨日の更新をすっ飛ばしてしまったのは昨日やったテストがちょっと考えさせられたからですね。そのテストはこちら。

 簡易版職業適性テスト(Gテスト)です。このテストはたまたま知ったもので「自分の適性が本当にどうなっているのか」を確認したかったのでやってみた次第です。
そして、結果がこちらになります。

なんだこりゃ
衝撃の結果

 本当に驚きました。この能力だけを考えると私は文章力が非常に高い代わりに数理力と空間判断力が著しく低いという人物であるとされたからです。
「数理力が低いのは薄々感じてはいたけれど、空間判断力がこんなに低いのは…」とテストの結果が出てから呟いてしまったほどです。
 図形の組み立てというのは個人的にはあまり得意ではない分野ではあったのですが、物も見事に壊滅的な結果となってしまい、数理もダメダメ。これで文章力がなかったらもう終わっていましたが…本当にあってよかった言語力って感じ。
 この中で向いているとされる職業(特徴に近い仕事)は何と言語・相談分野のお仕事であり、現職は殆ど向いていないという結果が出ました。

 正直に言って、この結果はちょっと残酷ですね。まさかここまで能力に偏りがあるとは思わなかったし、しかもあまりにも極端すぎて「今までどうやって生活できていたのか?」「自動車の免許は持っているけれども、車の運転は果たして本当に行っていいのか?」という疑問が頭の中でずっと駆け巡ってしまいました。昨日更新が出来なかったのはそのためです。

 知りたい結果であったといえば噓になります。私がこのテストを受験したのはあくまで「今までの自分の職種選択がある程度正しかった」という確認がしたかったのです。ここまではっきりと「お前には向いていない」「何ならその求められている能力は平均よりも著しく低い」ということを突き付けられるとは思いもしなかった。
 好奇心から覗いてみた自分の一面は光り輝いているのではなくただの瓦礫の山だったのです。

 ただ、その中でも救いを見出そうとするならば「一応文章を形成する力は非常に高い」という点でしょう。全てが終わってしまった訳ではなく、その能力を使って何かできることがあるかもしれない。まだ足搔くことが出来るかもしれない望みがあるというただ一つの、それでも大きな可能性が残されているからです。

 知る痛みと引き換えに、私の世界はまた少しだけ広がった。今はそれを励みにしましょう。

私の言語の限界が私の世界の限界を意味する

論理哲学論考 ウィトゲンシュタイン著 野矢茂樹訳 P114 五・六

 今日の日記はここまでです。次回の記事でお会いしましょう。

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