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#えい生誕祭2024まであと…

成瀬瑛美という人間が、堪らなく好きだ。

そして彼女の曲が、歌声が、私の日々を潤し支えてくれていることは言うまでもない。

しかし生憎「ソロ曲の好きなところはこれ!」と短くまとめて的確に表現できる器用さは持ち合わせていないので、(書き始めた今、既に生誕カウントダウン企画に追いつくことはできてないのだが、)ここに静かにしたためておきたいと思う。

彼女の名を聞いてその姿を思い浮かべることのできる人であれば誰しも、太陽に比喩されるその明るさとはじけるような笑顔や声が真っ先に頭に浮かぶだろう。しかし、どんな場面においてもその圧倒的な明るさを全面に出していながら、それらは決して押し付けがましいものでない。彼女が「成瀬瑛美」という唯一無二の存在を確立し続けられているのは、目のくらむような明るさでジリジリと照らしてくる"太陽"ではなく、私たちに寄り添ってじんわりと暖め、日陰からそっとみていた人にもそれぞれのタイミング・方法でそっとそこに加わることを許してくれるような太陽であるが故ではないかと私は考えている。

彼女のソロ曲は、どの曲を聴いても、上記のような「成瀬瑛美」が様々な角度から的確に表現されている点に魅力がある。底抜けに明るいのではなく、少しの切なさや儚さ(?)、大人びた落ち着きがスパイスのようにピリリと効いている。それは(曲によっては彼女の紡ぐ)歌詞であり、歌声の揺らぎであり、息遣いである。

もしかしたらそんな所を汲み取るのは、本人の本意では無いかもしれない。本来私たちにみていてほしいのは、冒頭に述べたようなえいたそ像だけなのかもしれない。(だとしたらごめんね) そんなことは彼女が他者であり解釈の対象である以上分かることはないけれど、それでも少なくとも私はここまで述べたような受け止め方を積み重ねてきていて、これが私にとっての正解だ。

具体例として曲名とか歌詞とか挙げようかなと思ったけどやーめた!だってみんなに見られちゃうのはさすがに恥ずかしいもんね〜
少なくとも言えることは、どのソロ曲もその時々の刺さり方で完璧に自分にぶっささってきて、そして、老後涙が出っぱなしになってしまうのを危惧しているくらい涙脆い私は沢山泣かされているということ。日常で聴いていてもそうだし、現場でも特典会はいつもにこにこへらへらしてるけどライブは大体べそべそに泣いてる。

その涙は歌詞が沁みるから!だけじゃなくて、そんなに絶対的な存在が私の人生にいてくれるという幸福感からもくる涙。

あーあ、あっという間に1000字超えちゃった!もうおわり!

やっぱり私は、成瀬瑛美が大好きだ。
生誕楽しみだね、これからもたくさんたくさん大好きなその歌声をきかせてね

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