『ゲームボーイズ』書評-すべてのありふれた光-

 ここでは、先日のイベントで購入したエヴァンゲリオン同人誌『ゲームボーイズ』(以下『本作』とする)の書評めいたものを残しておく。こうしたことを行うのは初めてなので、至らぬ点があることは冒頭から言い訳を述べておくのでご容赦いただきたい。
 なお、本作をすでに入手済み・または購入済みだが未読という方も、本論は解説や紹介ではないため障りはないと自負しているので、安心していただきたい。しかし書評である以上作品のテーマや構造については言及しているため、予備知識のない状態で読みたい方は、本作を先に読んでおくべきだろう。そういった方は読後にこちらを読んでいただき、本作の面白さや妙味についてより一層理解を深める補助線としていただければ幸いである。
 本論の副題は僕が愛するバンドの近年の名曲から引用している。この曲は、かなり複雑な家庭環境で育った作詞を担うボーカリストが、四十代になって辿り着いた歌だ。この曲と本作で描かれている物語は、必ずしも一致するわけではない。しかしこの曲で歌われている『大人になった語り部が、長い時間をかけて見出したもの』については、四遍ある本作の最初と最後で語り部となる彼の境地と、本作の物語で描かれているものごとのひとつひとつに『すべてのありふれた光』を感じた、ということを最初に書き残しておこうと思う。

 本作は、特殊な運命にある一人を含む、三人の少年たちの物語の断片だ。いわゆる3バカトリオ達の物語である。
 人間誰しもそうであるように、参照する過去が少ない子供ほど、訪れるひとつひとつが未知で、あいまいで、ふわふわしたりぶよぶよしたり、ざらついたりごろごろしているものだ。一言で言えば新鮮だということだが、それは大人の言い分であって、子供達自身は『新鮮だ』などとは思わないだろう。
 ここではそういう未熟な少年たちの、いつか大人になったら忘れてしまうような、些細でかけがえのない物語の欠片が描かれている。

 本作の構成はごくシンプルだ。三人の少年一人一話ずつ、その主観視点で描かれている三話と、最初の語り部の二度目の視点で描かれている最終話の四話で構成されている。際立っているのは、最初の三話の語り部が皆、十四歳なりの自分勝手さで物語を語っているという点だ。そこには各人の実年齢とは異なる成熟度合いも窺い知れるが、十四歳なりの範囲内に収まっている。語り部はそれぞれに思うことがあり、それぞれの思考はなかなか噛み合わない(そのことを我々読み手は感じ取ることができる。物語を読む醍醐味そのものだ)。三人が三人とも、自分達の関係性がかけがえのないものであるという予感はあるのだろう。しかし、そのかけがえのなさそれ自体への思いの深さもおそらくそれぞれ違うので、その思いが一致することはない。
 このように思考方法、成熟度合い、思いの深さがそれぞれ違うのならば、彼らの思いが噛み合う見込みはかなり薄い。事実、三人が頷き合い笑い合うような、わかりやすい『思いの一致』は出てこない。
 そしてそのことについて、三人とも当たり前に能天気だ。『まあいいや。いつかなんとかなるだろう。』『どうせ続くだろうから。』とでも思うのか、出来事も時間も軽々しく扱う。
 人生というのは、生まれた時も死ぬ時も知覚できない我々にとって、ある時唐突に始まり唐突に終わるまで脈絡なく続く無軌道な線分である。または、無限の可能性の中から連綿と続いてきた自分の歴史を参照しながら描く一本のまっすぐな直線とも言える。彼らは無邪気に様々な物事に出くわし、迷い、戸惑い、間違えながら進んでいき、自分でも知らぬうちに人生の軌跡を描いていく。

 そうした当たり前の日常とすれ違いが語られたのち、物語はジャンプする。時制が跳ね、状況はより一層複雑になるのが最終話だ。この時、一番幼い少年は幼いまま、他の二人は文字通り『大人になった』状態になる。
 語り部は、本作の第一話と同じ人物に戻る。いわゆるリプリーズなのだが、物語はすでに取り返しがつかなくなった後だ。リプリーズされているからこそ、その不可逆性は語り口の軽快さに反して重い。
 世界を変えた出来事の張本人のひとりと、巻き込まれたふたりという違いもある。刻んできた年輪は差異が生じ、過去とは違う意味で噛み合わない三人。もはや共有できるものは、噛み合わなかった過去しかない。

 そして語り部は、その噛み合わなかった過去が、どれほどかけがえのないものかに気がつく。憧れた戦闘機も新しいゲームも慣れ親しんだコーラも縁遠くなった。たが、今の彼らにそれらが必要なわけではない。互いのことをどれほど理解しているかではなく、それらを媒介に自分達が同じ場所にいたことこそが、輝かしい絆の証左だと知る。
 その輝きは、時間が過ぎ去ってみなければ見えてこないのだろう。ゆえに、時の止まっていた少年がその輝きを知るには、まだ時間がかかるだろう。彼らはこれからもたくさんの時間を少しずつ失い、そしてその中から大切なものを見つけていくのだろう。それらを語ることは、人生を語るということに他ならない。人生を語るときは、兎角それまで描いてきた軌跡を語ることになるものだからだ。
 本作で一人だけ少年のままの彼は、幼く若い。大人になった彼らとてまだ若く、強かに今を生きていくので精一杯の毎日だ。
 だからこそ、もうひとりの彼も『今はまだ 人生を語らず』と歌うのだろう。
 しかしその中でも、若いながらも歳を重ね、参照する過去があり、積み重ねていった二人だからこそ気づけることがある。

『Old friends and old wine are best.(友人とワインは古い方がいい)』という英語の諺がある。

彼らはそれを手に入れた。
本作は、それを祝福する物語だ。
私は、この物語に出会えたことを嬉しく思う。

おわりに。
本作はすでに完売済みだが、著者はpixivで作品をいくつか置いてあり、本作のひとつはそこにも残されている。
少しでも興味を持たれた方は、是非めばえさんの作品を読んでいただきたい。そこには誰もがどこかで体験、または遭遇したことがある瞬間が切り取られていて、忘れていた我々にそれを思い出させてくれるだろう。

作品名:ゲームボーイズ(初出:2022年12月18日 頒布 完売済)
筆者:めばえ

◆備考1・本作から思い出したこと
Suchmosがデビューしたばかりの頃、ユーミンが彼らを「男の子の11歳から13歳くらいの時期ってお母さんの庇護もなく、彼女ができたりする前の、本当に自由な男の子の時期」「『スタンド・バイ・ミー』のような雰囲気」と評していて、その表現に恐れ慄いたのだけど、本作の少年たちからもそういう瑞々しい輝きが感じられた。
端的に本作最大の魅力であり、それが出来ていることが凄まじい。
こういうジュブナイル小説ならではの雰囲気が出ている二次創作の書き手という意味では、狭い観測範囲で恐縮だが、B市さん(@verm_flfl)を髣髴とさせたことも付記しておく。

◆備考2・思い出した歌
この作品を読んで想起させる曲は、冒頭紹介したもの以外にもうひとつある。SuzumokuというSSWが歌った『盲者の旅路』という曲がそれだ。
下記リンクでは、彼とPe’zが組んだ【Pe’zmoku】というユニットで再レコーディングしたバージョンを紹介する。

“宝物は役に立つだろう
それは誰にでも使えるものなのさ”

Suzumokuが歪みのない声で朗らかに歌う、不安定で寂しさが混じった明朗さ。
かけがえのないものが、なんの犠牲もなく成り立つわけでないことを踏まえた上でなお歌う切実さを思い出した。

◆備考3・筆者自身の思い出話
本作を読んで思い出した自身の体験の話をする。
私は、東京の千代田区で生まれ育った。この場所はこの国の中心地ゆえに、政(まつりごと)が保守的な形で比較的速やかに実施される場所である。
私が中学生3年生の冬、学校の校舎移転が決まった。確か国の耐震基準が変わったとかで、その基準を満たしていない古い校舎だから移転せよ、という話だったと思う。それはあまりにも唐突で、決定から2週間後にはその学校を退去しなければならない、ということが通達された。我々の学年にとっては受験直前の、一月の終わりのことだった。

あれはそんな一月末、いよいよ翌日には引っ越しというタイミングだった。担任が授業を行わずに自由時間を作ってくれた。どこで何をしてもいいと学年主任の先生が言った。
私は、さりとて校舎内を探検する気持ちにもなれず、屋上に上がった。確か、同じようなことをしているクラスメートも数名いたので珍しい行為ではない。
そして、自由時間を貰ったとしても携帯電話の市民権はまだ先で、仮に持っていたとしても写メひとつ付いていない時代だったので、我々はその眼にその光景を焼き付けるしかなかった。
だから私もクラスメートみんな必死になって景色のひとつひとつを見ただろうか――きっとそんなこともしていなかった。私自身覚えているのは、屋上に上がったその事実と、そこから見上げた冬の薄い空色と、屋上の地面の黄緑だけだ。何を思っていたかさえ、あやふやだ。思い出補正だってあるだろう。
そこにいた、ということだけが今も残っている。

※引用・参照物※
①『すべてのありふれた光』Song by Grapevine

②ユーミンがしたSuchmosの話

③『盲者の旅路』Song by Suzumoku

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