したがき

少し前、落ちて死ぬ夢を見た。

落ちている間、僕は
「嫌だ!」
「死ね!」
と叫んでいた。

嫌なのだ。死ぬなんて怖すぎて話にならない。
でも僕は、ああしておけばよかった、後悔は無かった。

考えている今でも後悔は無いと思う。
ただ、死ぬような事か、と思うのは、人間がどれだけ今も今までも適当で実は本当に無責任な事を言いながら、自分に都合の良い事や矛盾することを平気でしていて、その癖に人前や表向きは偉そうに済ましているだけという事実を知れれ知るほど、人間が生きている事なんてどれだけくだらない事やしょうも無い事や生々しいくらいどうでもいい事をしてあっという間に一生が終わるのだと思う。

だから、今僕は鬱で完全に動けなくなっているけど、これで死ぬことは絶対に無いんだなと確信みたいなものがあってそれはとても大人になった今は一番難題だなと思う。

死にたいと必死になっている人は、死ねなかった時のその時(その後)の事が想像できない。
死ぬ死ねないよりも、どうしていたとしても生活をどう成り立たせて死ぬのかが成り立っていない人が死にたいと言いながら何もしていないのだと思う。

残りの人生があるのに、バカバカしい。阿呆ばかり。

クソガキや老害ばかりとはいわないが、
「話にならない奴ばっかり」
とお互いに思いながら、そうやって毎日みんな生きている。
仕事をしている。生活を成り立たせようと必死でやりくりしている。
それなのに僕は何をしてんだよと自分で情けなくなる。
それだけは事実として認める。

ただ、僕はもう今まで持っていた余力も切り札も使って、今からまた一からやり直すとか、本当にマジで勘弁してくれと発狂したい。嘆きたい、怒り狂いたいけど、もういいわ、関係あるかと思う事で遠くに置いている。

最低限の人間らしい生活が出来るなら、わざわざ死ぬ必要はない。
そう言いたい人は、最低限の生活を送る事の惨めさ、虚しさ、孤独や絶望や行き場のない苦しみや閉塞感も分からないのだろうと思う。

いや、わかっているから、そうならないようにしているのか。
なるほどな。みんな努力してんだ。

努力したから幸せになれるなら苦労しない。
身の丈に合わない夢ばかりを見ていれば苦しくなる。
けど、人間はそういうものだ。個性もバグも昔から人間はそういうもんだ。

だから残りの人生を全部が無くしてしまうのは、
考えられない、あり得ない話だ。

・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?