我が道を行け

人に歴史ありだと思う。
今日帰ってきて、今この思い手足腰を動かしながら、けだるい心。

でも今日も、人に歴史ありだった。

久しぶりに顔を見る人が何人かいた。
挨拶も簡単に。

擦れ違いざまの会釈程度では済まないのが僕。

つい
「お疲れ様です」
と、声をかける。

昔と違うのは、相手にしない対象が増えた。

「簡単に済ませている数」

というのも僕の中では異常に増えた。

・・

僕のモノサシだ。

僕の基準で、その人を考える。それはどうしたって仕方がない。

考えて判断する。それをする事で自分がどうなるのか。
可能性と、その代償を背負うと言う意味での選択をしなければならない。

僕は本当に人に対して
「何もしない」
ようになった。

そう言ったってしているのだ。してしまうのだ。
基本的、人格は変わらないのかもしれない。

でも判断する為の情報や選択肢が見えてきた。
残された時間や体力、お金や事情、それらを含めて、未来を見定める。

人生は、また少し変わる。

辛い、とか、不安、は消えない。
そういう感情からは逃げられない。
これだけは絶対だ。

ただ、それを受け流すことは出来る。
受け流すことが出来ないのなら、受け流すことが出来るようになる努力をする気があれば、何度も何度も繰り返せば、出来るようになったり、慣れてきて、その人なりのやり方やコツが見えてくる。

それでいい。

答えなんてない。

最適格、もっとも正しい正解なんてものは存在しない。

人に歴史あり。

我ら、人間なり。

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