日記をつけるとは。

チラシの裏にでも書いてろ!
もしくは
ここはおまえの日記帳じゃねえ!

などという煽りも昔はあったが、今や簡単にプライベートを発信するツールが完備されている。それもマルチに。
世界中に向けて、個人の情報を、リアルタイムでお伝え出来る凄まじい時代である。

そもそも、日記だが、恐らくみんな一度はやったことはあるはずだ。
学校の課題なんかや、個人的な日記や交換日記。
いや、交換日記は今はやるんだろうか。
今はLINEのグループかな?

昔の人だって日記をつけていて、それが貴重な資料になったりする。

そんな日記だが、私は、苦手である。(またか)

なに書くんだよ、となる。

カスみたいな一日をすごしているからかなとも思うが、めっちゃ濃い一日を過ごしてもそれを書き留めようと思ったことはない。

スマホで写真を撮るのは好きだが殆ど見返さない。みんなは見返すのだろうか。

神社で御朱印貰うのは好きだが、御朱印帳は特に見返さない。貰った時点で大満足だからだ。
友人が見返すと言っていたので、普通は思い出というのは、振り返るものなのかもしれないと思った。

思い出。
卒業アルバムなど開くことなく処分した。
友達は写真を撮りたがる。
わざわざ、紙のアルバムを作ったりする。

私はいろいろズレているのだろうと思う。

黒歴史もあるが、別に過去を恨んだり憎んだりしているわけではない。
他人と比較するようなことではないが、自分にはそんな過酷なこともなかったはずだ。

過去は変えられないし、その積み重ねで今があることは事実だし、だだそれだけ。


さて、日記である。
これはどうも見返すことが前提のようである。
アウトプットしたものを、その時はそう考えていたのだな、と振り返ることこそが大事なのかもしれない。

では、何故、日記を書くことそのものが苦手なのだろうか。

アニメの感想とか、日常の出来事を、なんとなく、公開前提で書くことは楽しい。
かつてのブログや、個人サイトの日記帳や、同人誌のフリートークや対談はそういうノリだ。

(その辺の高校生のコピー本のトークとか対談とか、今考えたら存在の意味がわからないが、今はそれがSNSに移行しているのかもしれない。)


それらに対して個人的な日記というのは、まず公開はされない。
自分だけが見るもので、赤裸々に出来事や体験や感情が記されるもののようである。
甘酸っぱいことも苦いことも。

私は、それらを言語化して向き合う覚悟が足りないのかもしれない。

それとも、その時にどう感じたか、などの自分の感情の機微に鈍感でわかっていないのかもしれない。


アプリを使って日記をつけてみている。
日付けごとのページではなく、同日に複数の項目で書けるので、思い付いたら書く、というスタイルではじめた。

これがまあ酷い。
ほぼ、睡眠に関する記録と、食事の記録。それと行動の記録が少々。家事などは書いたり書かなかったりしていたら、引きこもりマンのため虚無なことがバレてしまった。

こういうのを振り返るためにやってんだ!
と言われたらまあそうなのだが。

出かけても感情的な感想などが無い。
書いても「楽しかった」とかその程度の小学生並みの感想になる。

精神的な不調などは記録できている。だからこそ、なんか急にテンションぶちあがってんな?ってなったわけだし。
思考は言語だから、吐き出すことは割と容易だ。


もしや、自分の感情を、ちゃんと把握していないのか?
精神的な波はあるが、感情はフラットな方だと思っていた。これは…。


という気付きを得て良かったね!(笑)な暑苦しい午後であった。