「しょうがない」を連鎖させてはいけないと思う話
「しょうがないものはしょうがない、でも、どこまでをしょうがないと思うのか」
という話を最近しました(会社で)。
しょうがないものは、マジでしょうがない
仕事や日常生活で「しょうがない」と思う事・言う事は多くて、マジしょうがないじゃん、ってことも多いです。
例えば、「締め切りが近い物があるのに、熱を出してしまって手が付けられず間に合わなかった」、なんて(熱を出した理由はあれど)熱が出たならしょうがないわけです。無理して頑張るのはよろしくない。
他にも、「Aさんと約束があったけど、優先度が高いBさんとの約束が入ったから、Aさんとの約束を守れなかった」というのもしょうがないわけです。Bさんとの約束を守ることで得られるメリットや体面があるでしょうし、しょうがないわけです。Aさんが少なくとも表面上でも理由が納得できていればよいと思う。
もっとどうしようもないこととしては、体質の問題からくるものがあります。「〇〇アレルギーだから、△△が食べれない」とか「□□という障害を持っているから、××をやるのが難しい」とか、こういったものは本当にしょうがないですし、本人が一番悔しい部類に入ると思います。今回はこのケースは除外。身体的、体質的な問題は、特に本人しかわからないことが多いので赤の他人がとやかく言うことではないので。
どこまでをしょうがないと思うのか。
1つ目の例を思うと、
①熱を出した ⇒ ②締め切りが間に合わない
のはしょうがない(と言ってくれない人もいるけど)と思うのです。ここで思うのは、その先。ちょっと極端な例だと
②締め切りが間に合わない ⇒ ③信用低下 ⇒ ④仕事が減る
と連鎖するとして、「④仕事が減るのも、しょうがないね」とならないよね、という話です。
もちろん一回締切を逃したぐらいでそうはならないけど、③信用低下、ぐらいの可能性はそれなりにあるでしょう。
ようするに、「締切に間に合わない事が、ゆくゆく何を生むのか、そしてそれは『 しょうがない』としてよいのか」を意識するのはとても大事だと思います。
でも、しょうがないじゃん
でも熱が出たのはしょうがないわけです。あらかじめやっておけば良い、というのもあるけど、そんなのわからんし締切ギリギリにやるのはよくあることだし。。。この辺は白黒、ゼロイチで語れるものではなくて、塩梅が大事だと思いますが、
しょうがないものは、しょうがない。諦める。
それがどんな影響を与えて、どんな「悪いこと」に繋がるか意識する。
「悪いこと」が起きないように、他の方法やルートで挽回(補填)することを考える
とするとよいケースがあると思います。
たとえば、信用が低下する、なら他に信用を回復する方法を考えたり、締切逃した事を誠実に謝ったり、色々あるかなーと思うわけです。
ようするに
「だってしょうがないじゃん!!」は思考の停止だと思うわけです。
しょうがないものは、しょうがないけど、「しょうがないよね(ドヤ)」、だといつの間にか色々マイナスが増えちゃうなと思ったという話でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?