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ツアーの思い出(ロスアンジェルス カリフォルニア州 アメリカ)

2013~2020の7年間、私はニューヨークハードコアのアーバンウェイストと言うバンドで私はベースを弾いていた。2013年、初めての西海岸ツアー。毎晩各地でライブをした。曲を筋肉が覚え、どんどん腕が上がった。

共に回るバンドの人々は、元ギャングだった人もメンバーにいるバンドだった。ロサンジェルスのバッドなボーイズの彼らとバンに乗り、数週間を共にした日々はとても良い思い出だ。全身に刺青が入った、筋肉モリモリの強面の面々(自称ロスのバッドボーイズ)は慣れるととても良い人達ばかりだった。私はシンガーのMと特に気が合い、毎日移動のバンの中で色々な思い出や人生の話をした。彼は近所の呪われた家の話をしたり、私はハワイで偶然イルカと泳いだ思い出を話したり。話は尽きなかった。

彼「俺はチョロ。ギャングバンガー(gang banger)だ。」…私はチョロの意味を全く知らなかった。日本語で考えると…水がチョロチョロとかネズミがチョロチョロ。チョロQなんていうミニカーもそういえば流行ったな。イメージ的に、何か、小さくて可愛い感じ?

私「チョロ?よく知らないな。それとも、もしかして…。私にセックスの事を話してるの…!?(動揺&恐怖)」

彼「それは、ギャングバンギング(gang banging=性的な乱行)!!えーっと、つまり…俺はサグなんだ。サグ(thug=チンピラ)!」

私「あ〜…。ギャングなの!?オッケー!!」

…彼は私のあっけらかんとした反応を拍子抜けした様にポカンと見ていた。Mは私がちっとも怖がらなかった事に感動し「このバンドで一番肝が座っているタフな奴はノンリーだ。」と言った。ちなみに他のメンバーは全員男性である。私が全然平気なのを横でビックリして見ていた。

私は幼少時、暴力団の事務所・自宅・飲み屋街の隣で育った。田舎育ちだが、私の近所では毎晩がパーティーだった。昼間は寝静まったゴーストタウン、暗くなればカラオケが各店”フル10”(全音量)で、酔っ払いの歌声は明け方近くまでガンガン続いていた。

私は組長の娘あーちゃんと良く遊んでいた。彼女は私よりも3歳年上。組の事務所に入り、遊びにきた旨を若い衆に告げる。2階の彼女のお家で遊ぶ事もあった。事務所は彼らの手で毎日ピカピカに掃除され、植木も元気でスッキリしていた。私は額に入れて飾られたメンバーのグループ写真を見て、いつも密かにかっこいいなと思っていた。スポーツグループのチーム写真の様だったのだ。

あーちゃんは、時々近所のスーパーに私と弟を連れて行き「何でも欲しいもの買ってあげる。一個選びな。」と言い会計を一万円のピン札で支払った。当時私5歳、私の弟3歳、彼女はたしか8歳。堂々としてる彼女が何だかとても大人に見えた。優しかった彼女は数年後に何処かへ引っ越してしまい、連絡が途絶えた。

中学入学と同時に私は母の仕事の事情で他の市に転校する事になった。毎晩パーティーで町で一番危険な雰囲気だった飲屋街も40年経った今では取り壊され、ただの市営駐車場になってしまった。私もいつの間にか大人になり、何故かアメリカに住んでいる。今でもたまにあの昭和の匂いプンプンのジャンジャン横丁の写真を撮って置けば良かったなあと後悔している。




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