祖母のお灸&祖父の予言
私が4歳だったある日。東京亀戸に有ったマンモス団地叔父宅にて祖母、母、叔母、従姉妹達と皆でワイワイ楽しく集っていた。そして、何故か私と祖母だけで当時彼女の経営していた手芸店に2人で歩いて帰る事になった。
団地の中央に公園が有り、私は特にそこのジャンボ滑り台が大好きだった。そこを通りかかった時に沢山の鳩が餌を啄ばんでいるのを見かけ私は「鳩だ〜!!!」と叫んで走って鳩を見に行った。祖母は一言「行くよ。」と行ったのだが、私の町では見かけない色とりどりの鳩の大群に大興奮で鳩の事しか頭になかった。しばらくじっと見つめ、後ろを振り返ったら、そこに祖母はいなかった…。私以外誰もいなかったのだ。
住所も電話番号も知らない。ただ覚えているのは叔父の下の名のみ。どうしよう。どうしよう。もう皆んなに会えないのかな。似た様な大きな無機質な棟が立ち並ぶ中で、私はパニック&不安で泣き出しそうになるのをただただ堪えた。自分に話しかける。「落ち着いて。どっちの方から来たか、良く思い出してみよう?」うっすらした記憶を頼りに進み、一軒一軒ドアベルを鳴らし、「ここはYおじちゃんの家ですか?」と訪ねて回った。今考えれば非常に危険な行為である。でもそれしか方法は無かったのだ。幸いな事に、何軒目かで優しいおばさまが「Yさんね、知ってるわよ!」と行って、叔父の家に連れて行ってくれた。
私はまた皆にまた会えて心から安心した。皆も私の無事を喜んでくれた。ああ良かった!めでたしめでたし。
…と思った瞬間。般若の様な顔をした祖母にひどく叱られた。「子供は大人に従って当然」「勝手に走って行くなんて先が思いやられる」エトセトラエトセトラ。タフな明治女で離婚後女手一つで5人の子供達全員をお嬢様高校〜短大、大学に送ったスパルタ祖母曰く「お前は大人の言う事を聞かない悪い子だ。お仕置きが必要だ。」私は皆の目の前で、膝の内側に太い線香でお灸を据えられたのだった。「嫌だ!嫌だ!」と足をバタつかせ抵抗する私。祖母は母(彼女の娘)に足を押さえるように言った。最後の頼りだった母は祖母の言う事を聞いて私の足を押さえたのを見て私は「…母よ…。お前もか…。」とシーザー王がブルータスに裏切られた時の様な深い深い絶望を知った。
お灸の後。部屋はシーンと静まり返り、他の従姉妹たちは身を寄せ合う様にして恐怖に震えていた。私は泣きながら傷を自分の手の平で優しくこすり続けた。垢が出るまでずっとさすった。長い間誰も何も言わなかった。私は心の中で、「絶対にいい子にはならない。」と誓った。苦労人だった祖母は、63歳の若さで亡くなった。6歳だった私はまだよく理解できなかった。ただ最後にそっと触った彼女の頬がとても硬かったのを今でも覚えている。母はその後ずっと「あれはおばあちゃんが貴女を心配しての上の行動で、愛してるからお灸を据えたのよ。意地悪じゃなくて。」などと言って涙ぐんでいたが、私はそうは思えなかった。愛しているなら優しくしてくれってエルビスだって歌ってんじゃんか。でも気付いたら「もし、私が彼女の立場だったら子供を叱りつけないで『心配したよ〜。でも帰ってきて来れて良かった。』って話すのにな…。」なんて考えられる大人に自分がなっていた。
6歳の夏休みに私は叔母と従兄弟たちと福島県に住む祖父を訪ねた。生まれて初めて会った祖父はとてもハンサムで暖かくて良い雰囲気。バディーホリーの様なメガネをかけシルバーの髪の紳士だった。漁網の経営者でダンディーで歌が大好き。パーティー大好き。元々は裕福な網元だったそうだが宴会好きで財産を無くし、当時珍しかった離婚をしたそうだ。シングルマザーの祖母に育てられていた母とその姉妹は祖母のしてきた苦労を見ているので全員彼女の味方だった。でも私はおじいちゃんが大好きだった。おじいちゃんではなくハチマキと呼ぶ従兄弟もいた。いつもハチマキしてたそう。
ある晩。縁側に座り晩酌していた祖父が私たち従兄弟に「おじいちゃんの肩を揉んでくれる人〜?そしたらあんまさんにお小遣いやろう。」と言った。「私!」「俺!」と皆が競い合う中で、私は祖父にこっそり「おじいちゃん、お金なんかいらないよ。タダでいいよ…。だって私のおじいちゃんじゃん。」と伝えた。彼は良い声でハハハと大きく笑い、「のりこが一番俺に似てるなあ〜。いいか?良〜く聞けよ…。お前の人生は、俺の人生の様に絶対楽しいものになる!!!この俺が保証する!!!」と言った。
祖母にお灸を据えられたのは家族の中で後にも先にも私だけだった。何故あの時祖母がそこまで私に激怒したのか。それは私の中の別れた元旦那に似ている部分に反応したものだろうと大人になってから気付いた。実は私の行方不明を心配しすぎてたので見つかった時に怒り爆発してしまったのも理解した。ただ一つ明確なのは、お灸をすえられて私が得たものは反省ではなく、反逆精神であったと言う事だ。苦労は人生の修行だ。それを乗り越えた時、人は強さと優しさを知る。
その後祖父のお告げは本当になり、私は海外在住のロックミュージシャンになった。音楽や武術や動物好きな良い友人達に出会い楽しい人生を謳歌している。そして時々、祖父や父が歌うイメージが浮かぶ。
祖母&祖父。どちらにも感謝している。愛と光を。