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ステンドグラスとクレヨンがおしえてくれたこと

たいてい、職場にちょっと苦手な人が一人や二人いるもので、かくゆう私もその一人だったりする。ここのところ、ちょっと悩むできごとが重なり、愚痴や不満ばかりが頭に浮かび、口から次々とあふれ出ていた。心に悩みがあるときほど、人は「占い」に走りやすいのか、5~6冊ほど占いの本を衝動買いし、さらに、携帯を開けば、占いばかりを検索し、どうしたら、この状況を打破できるのか、改善できるのかと模索する日々が続いていた。

そんなある日、とある有名占い師のインスタをチェックしていたら、「自分の周囲にいる人の人間性は自分自身の言動を反映している。愚痴や不満を言うような態度の悪い人がいるのなら、己がその程度だから」という言葉が目に飛び込んできた。

ああ、私はその程度の人間なんだ・・・私はますます、そのどろりとして真っ黒で、身体にまとわりついて落ちていく、底なし沼のような「落ち込みの沼」にどっぷりとはまり込んでいった。

「落ち込みの沼」にはまっている私は、そのどろりとした心をひた隠し、本日、数か月前から予約していた「ステンドグラス教室」に向かった。このステンドグラス教室は、のんさん(息子)の学校のPTAで知り合ったママ友が自宅工房にて開いており、のんさんがらみで知り合ったママ友たち数人と定期的に参加しいる。小物入れやフラワーベース、ランプシェードなど、各々、作りたいものを、わいわいおしゃべりしながら制作し、出来上がったキラキラと美しいガラス細工にうっとりしながら、楽しいひとときを過ごすのである。

今日は、ブルーを基調にした、ピラミッド型の指輪のピローケースを作製した。ピラミッドの天辺から蝶々の形のチャームをつけて、「乙女心」満載な可愛い仕上がりとなった。このとき、すでに私の心は、「どろり」から「とろり」程度の小沼になっていた。

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「これね、預かってきたんよ~」そう言って、ママ友の一人が、紙袋をごそごそと差し出した。なかには、スケッチブックと、クレヨンがいくつか入っていた。

息子「のんさん」は、クレヨンでがりがりと、絵を描く。その様子を、「人が呼吸をするような感覚」と私は表現する。そのくらい、毎日飽きもせずに絵やら文字やら、自分が「描きたい」ものを描いている。それに伴い、クレヨンの消費量があまりにも激しくて、ある時、自身のSNSで、「お家で使わなくなったクレヨンが眠っていたら譲ってください」と訴えた。エンゲル係数が、家計の消費支出に占める飲食費の割合なら、「クレヨンの消費割合」はいったい何と呼ぶのだろうか?例えば、「クレヨン係数」とするならば、その値は、我が家ではおそらく食費の次に高いかもしれない。

友人は、SNSの私の訴えを見て、周りの友だちに声をかけてくれていたのである。そして、自身も我が子が使用しなくなったクレヨンやスケッチブックを持参してくれていた。 クレヨンが自宅に眠っていなかった別の友人は、買ってでものんさんにクレヨンをあげたいと、わざわざ購入してくれたのだ。

実は、その他にも、SNSの発信を見て、県内外の友だちや親せきから、たくさんのクレヨンが届いていた。わざわざ購入したものを送ってくださった方も多く、「のんさんの作品に貢献できるなら」「のんさんの作品に元気をもらったから」「のんさんの作品のファンだから」そう言葉を添えて送られてきたのである。

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そのとき、すでに「とろり」としていた私の心の小沼は、完全に清流と化して、せせらぎの音すら流れてきそうな勢いだった。自宅に帰ってからも、気が付けば、ステンドグラスの小物を眺めながら、頬をつたう心の清流をぬぐっていた。

私は、私の職場で自身の甘えや、驕りがあったのだろうと、深く反省した。働きだしたときは、のんさんを抱えて(重度の障がい者の介助をしながら)社会で働けることに心から感謝していた。周囲に感謝しながら働いていた。どこかで、その状況に慣れが出てきて、大事なことを忘れていたのかもしれない。その姿が、周りに映し出されていたのだ。

その一方で、のんさんを取り巻く人たちの姿はどうだろうか。のんさんを取り巻く人たちの姿は、やさしさで溢れている。私は、はっとさせられた。

のんさんは、ひたむきに絵を描く。そして、その作品に魂が宿り、そこに惹かれる人たちが存在し、こうして、のんさんの作品づくりのために「クレヨン」を送ってくれてきている。

有名占い師の言葉は続く。「無理につながろうとしなくても、つながる人はいる。それは、自分の日々の態度や言葉で決まってくる。・・・省略 ・・人の見ていないところでも努力して頑張っているから、人前にでたときに輝くもの。過去の汗は必ず無駄にならない」

まさに、この言葉は私の目の前で、具象化されていたのである。こんなまじかに。それなのに、ここ数日、そのことに気が付かず、どろりとした底なし沼に自ら足を突っ込んで、勝手にもがき苦しんでいたのだ。

のんさんの作品には、膨大な時間とエネルギーが注入されている。それは、ときに元気を、ときに優しさを、ときにユーモアを与え、その魅力に引き付けられる人たちが、存在し、つながっている。

私は、「人と関わる」ことが好きで、喜びも悲しみも、そのどちらも人によりもたらされて生きていると感じている。「人と関わる」ことで、傷ついたり、悲しんだりすることもあるけれど、一方で「人と関わる」ことで、喜びを感じ、楽しいと感じている。

のんさんを通して、のんさんの作品を通して、様々な人と出会い、様々な人と繋がり、たくさんのやさしさを頂き、また明日頑張る力となり、心の原動力になっている。私自身も、のんさんを取り巻く一人の人間として、今度は、私がその周りの人々を映し出した鏡となるべく、恥ずかしくない生き方をしていきたい。

ステンドグラスとクレヨンが教えてくれたこと。それは、周りは己を映し出す鏡。そして、自身も周りの誰かの鏡であるということ。あなたの鏡はどう映っていますか?

追記 のんさんにクレヨンを送って頂いた方には、ささやかなGIFTを送っております。まだの方、もう少しお待ちくださいね。ありがとうの連鎖がのんさんの作品に繋がっていきますように。





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