きみを死なせないための物語第1話感想その7

その7はシネマコクーンの終わりくらいからですね。
シーザーの「銀河の果てに行きたい」という願望、そして娯楽施設の中の発言でも要注意…とはいえ、アラタが禁書の内容を話しているからまあまあ大丈夫なのかな? なんにせよ窮屈な生活してるなあという印象を受けさせる会話ですよね。

第1話も半分以上を過ぎてようやく出てくるルイの名前。3人の会話で登場することもありますが、その後もルイだけが「F3 LOUIS」等の表記は作中でされないのですよね。アラタの名前に漢字表記がされないのと合わせて、「アラタ、シーザー、ターラ+ルイ」と「アラタ+シーザー、ルイ、ターラ」の組み合わせがあるのかなと感じさせられるところがあります。大地がずっと「大地」表記なのも合わせて、人名表記をあえて変えてるのかなと思いますね。

コクーンの説明が入ってからのアラタの自宅。お母さんの吹き出しが全部雲型なの、声が少し高めでふわふわしたしゃべり口なのかなとか想像します。
シーザーとターラをちゃんづけし、口を挟む間も無く喋り倒すお母さん。
そういえば、シーザーのターラへの第一声の時も吹き出しが雲形で、明らかに声音が変わってたんだなとわかります。実際に声が聞こえない漫画でも口調の変化が想像しやすいのは、吹き出しの形やサイズ、文字の大きさなんかを変化させてるからなんですよね。お母さんの顔に被せる大地の吹き出し、まさしく喋りを遮ってますよね、漫画の表現って面白いです。

ようやく出てきたのに顔が描かれていないお父さん。晩酌…と思いきや手に持っているのはラムネの瓶、ちゃぶ台に並べられているのはレトルトのおかずと、コクーンの食事事情を垣間見えるシーンです。そういえば、ラムネの瓶ってガラス製とプラスチック製と二つありますけども、コクーンだとガラスとプラスチック、どちらがより貴重なんでしょうかね?ラムネにはガラスのビー玉が必須ですし、瓶として普及しているのはガラスの方なんでしょうか。

お母さんのセリフの「本当に本当の地球にいるみたい」で「なつかしい(ノスタルジック)」、「早く地球に降りたい」。お母さんが40代として、地球を離れて100年以上は経っているので、地球にいた世代との接点はもうないですよね。この「なつかしい」は、童謡の『故郷』のような自然豊かな日本で育っていない現代人が旅行で田舎に行って感じる「なつかしい」と同様の感傷として捉えるとすごくわかりやすいです。そしてシーザーとターラの表情から、アラタの家にきた時は同様のことを何度となく聞かされてきたのかなあと感じちゃいますね。

今回も短いですが、大地とのシーンは語りたいことが少しあるのでまた次回に。