きみを死なせないための物語 第1話感想その1

記念すべき第1話はなんと50ページの巻頭カラー!
でも雑誌の表紙は飾っていないことが少しだけ寂しい始まりです

流石に雑誌を全部取っておくと場所を取りすぎるので、切り取っています。
単行本ではカラーが収録されないことと、雑誌と単行本の縦横比が異なるので両端が少し切られてしまうこと、単行本収録時に修正が入ることがあることが、雑誌掲載分を取っておくメリットなのかな。
電子で買った方が雑誌を丸っと残せますし邪魔にもならないけど、やっぱり紙をめくって読みたいのがオタクというものなのでしょうかね。

で初っ端から「俺のひいばあちゃんは『かぐや姫』のようなひとだった」ですよ!
かぐや姫のようなってどんな人よって思いますよね? これが結構な複線でのちに回収があるのかなとか思いますよね?
もちろんこの入り方には意味があって、作中の世界には電子書籍以外は公には存在せず禁忌であること、電子化されていない本がおそらくかなりあること、人類が地球を離れて遠くへ行く本が禁忌であることがすぐに語られています。
でもなぜ主人公であるアラタがひいおばあちゃんを「かぐや姫」と評したのかの理由は番外編を最後まで読んでもほぼ描かれていないんですよね…
連載中、ずっと疑問を覚えて色々理由を考えながら読んでいたのを覚えています。
というかなんなんでしょうねかぐや姫。一般にかぐや姫と聞くと竹から生まれて、みるみるうちにおおきくなって、美女と評判になって求婚者に無理難題押し付けてしまいには帝にまで求婚されて、最後は帝に不老不死の妙薬を渡して月へと帰っていく… あとはなんでしたっけ、実は月の世界で罪を犯して贖罪のために地上に落とされた、とかでしたっけ?
ひいおばあちゃまに当てはまりそうなのはこの段階では「美人」くらいなんですよねえ…
正直考えていても明確な答えには辿り着かないような気もします。

で、次のページが第1話の表紙に当たるわけですけども、雑誌掲載時には煽り文句がありました。
「きみが救われない世界なら、僕は運命だって変えてみせる。」
見開きページの右側にはジジを抱きしめる作業着姿のアラタ、左側には白い服を着たシーザー達3人。
おもしろいなと思うのは、この第1話ではまだ登場していないジジが既に描かれていて、アラタがジジを抱いているけども視線は合っておらず、地球の先を見据えているようにも見えること。
シーザー、ルイ、ターラの3人が何かの被検体とも思わせる恰好であること。
ジジの点滴のチューブがコクーンに繋がれているようにも見えること。
5人の足元が水なのも興味深い。どんな意味を持っているのかはわからないけども。
あとはカラーで見ているから感じることなのですが、アラタ・ターラ・シーザー・ルイには色被りがないのに対して、ルイとジジは瞳の色が似ているんですよね。実際この先ルイはダフネーと因縁を持つわけですし、邪推したくなるところがあります。水にかなり使っているのがルイとジジで、アラタがジジを引き上げようとしてる様に見えるのも、この先の展開を表しているようにも取れます。
また、ジジが憧れるシーザーの瞳が地球を連想させる青なのもね、敢えてなのかなあとか妄想したくなるところです。

まだカラー3ページ分しか書いていないのに既に1000字を超えてしまっているので、最後にタイトルについて連載開始当初に感じていたことを軽く書いて今回は終わりにします。

最初はあまりピンと来なかったんです。
「きみ」を「死なせないため」の「物語(ストーリア)」。
物語と書いてストーリアとわざわざルビを振っているのもなんで?って思いましたし、「死なせないため」とか回りくどい表現だし、そもそもきみって誰よって思ってたんですよ。タイトルで風呂敷広げすぎじゃない?大丈夫?って。
作品の紹介でも「ボーイミーツガール」とか「恋愛メインの少女漫画」的な扱いをされていた時期でもありましたし、作品の真価がわかっていなかったころはそう感じていたのです。
ストーリア、意味を調べたらイタリア語で「歴史」または「物語」なんですね。
ルビを振れるという日本語の仕様によって「物語」に複数の意味を持たせられるし、最終的にいろんなものを「死なせない」物語、そしてその物語が歴史になっていくのでぴったりなタイトルだと思うようになっていくのです。