きみを死なせないための物語第1話感想 その10

その10、第1話の感想も終わろうというところでようやくルイの登場です。
待ち合わせ場所はなんと歓楽街。引き締まったウェストのターラちゃんに対して、シーザーのお腹がまだ子どもなぽっこり系なのが可愛いですね。
しかしルイ、ふりふりのスカーフにブラウスといういかにもフランス貴族なお子様なご衣装なのがいいですね! しかもターラがいるとわかるや「ボンクラなの!?」と。先に合流していたのはこの3人なのに、自分の都合に合わせるのが当然といった態度です。確かに「王様」って呼びたくなりますね。
でもこの発言、「ターラは潔癖系だから歓楽街とか嫌いだから行かないでしょ?」なのか「歓楽街に行こうってのに女連れてくるとかないでしょ」なのか少し迷いますね。ターラちゃんの性格からして誘われても行かなかったと思いますし前者だと思いたいですが…ルイって時々脊椎反射で喋りますからね。どっちだったにしてもワガママな発言であることには変わりないです。

この歓楽街は廃棄物の保管エリアだったと。廃棄物…廃棄物の保管…確かに資源の限られるコクーンでは一度廃棄されたモノでも使い道があるかもしれませんし、宇宙に捨てるなんてもっての外なので保管が基本なのでしょう。そこに人が住み着いたということなので、本来の使い道をされていないエリアだということなのでしょう。
シネマコクーンでも「成人したら歓楽街も入れる」と言っていましたので、歓楽街自体はこの京都コクーン以外にもあるのでしょう。おそらくは検索よけワードとかに指定されていてすぐにはわからないようになっているのだと思われます。

ターラに配慮してか行かないというシーザーを見ての一コマがねえ…シーザーとターラが行かないならアラタも行かないと言い出すだろうし、1人で行くのもつまらないなのか勇気がないのかで嫌だしどうするか…といった打算と、シーザーが自分より他の人を優先したことによる不快感とが混ざった表情な気がしています。それでとっておきの情報である「監視カメラがついていないらしい」発言ですよね。要は自分1人だと何するかわかんないでしょ、だからシーザーついてきてよっていってるんですよねこれ。しかもこの発言、「らしい」であって実際ではないですし。

駄々をこねるルイに折れるアラタ。こういう時のアラタって相手の意思に賛同してではなく、賛同はできないけども相手の意思を尊重して付き合う、なのが大人対応ですね。あとは面倒を避けたい一面もありそうです。

そんなで帰されてしまうターラちゃん。言いたいことはありそうですが言い出せない。アラタが出口まではエスコートすることになったとはいえ、ルイのわがままで一緒にいられなくなって不満があるのに言い出せない。ターラちゃんの鬱憤の吐き出し方は第2話までお預けです。

ターラちゃんの退場で第1話ももう終わり。最後に意味深なお二人が出てきます。そしてルイの「監視カメラがない」が出鱈目だったことがすぐにわかります。おそらくルイに京都コクーンの話をしたのはソウイチロウで、コクーン上層部の監視下にはないという意味で「(天上人管理の)監視カメラはない」と教えたんだろうなあと想像がつきます。ちょろいですね、ルイ。

ほんと第一話はこれで最後なのですが、祇園さんに対しておじいちゃんが「珍しくて価値がある」と説明しているのがいいですね。
この後で散々ダフネーには社会的価値がないって出てきますからねえ… ここまでの2人の生き方をね、番外編とかでやってくれたらね、すっごい嬉しかったんですけどねえ…祇園さん、ほんと祇園さんですからねえ…
おそらくはこのおじいちゃんの「価値」は、コクーンでの社会的価値とはまた別なんです。そこをもう少し読みたかった…!! でも「後少しここが…!!」というところで終わるのも作品を妄想できる余地が残されていて大好きなのです。

次回はようやく第2話、京都コクーンからですね。