きみを死なせないための物語第1話感想 その9

その9はホテルに戻ったターラちゃんのシーンからですね。…と思ってコミックを開いてたら、大地と話してる時のターラちゃんの返答コマの背景に通路が書き足されてる! 雑誌掲載時はただの壁だった所に通路が! 37ページ目でアラタがラムネを持ってきてるのはシーザーが座ってる側なのでそちらが玄関方面として、アラタと大地の部屋の奥にも部屋があるわけですね。4人家族で2LD(Kはない)と考えると、現代でもアパートとして平均的な部屋数ですし、東京コクーンでは結構な優遇なのでしょう。

で、ターラちゃんのシーンですが、ほぼほぼカプセルホテルのような場所でお休みなんですね。実際のカプセルホテルに泊まったことがないので現実との比較はできませんが、荷物は別の所に預けて身一つで入るタイプのようです。そういえばシャトルで着いたばかりというシーザーも特に荷物は持っていませんでしたし、荷物は宿泊施設に直行するシステムなのでしょうか。アラタは翌日も同じ服ですし、旅行の際の荷物はほぼないのがコクーン流なのかもしれません。

ここのシーンの目玉はなんといっても、ここまでに出てきた社会秩序や制度の説明が入ることですね。
「監視カメラの下で厳しく社会道徳的な人間関係を求められた」に対し、すぐに「とても奇妙な道徳だった」と出てきます。確かにここまで読んでいて、宙港やシネマコクーンでも他の人と話すシーンがなかったり、「恋や愛が不道徳」と言われていたり、セクハラの基準がとても厳しかったりしてましたが、そういう社会なのだということなんですね。
「契約のない相手に直に接触することは許されない」のはすごく厳しい… でもそれが当たり前になった世界ですからね。
ここの段階ではまだ第一・第二・そしてチラッと第三パートナーしか出てきませんが、学校内や公共施設内での限定された空間のみ有効の契約もあるのでしょう。18話の冒頭に出てきた学会の契約に近いものが学校でも適応されていそうですし、公共施設では「施設内では職員が職務のために話しかける場合があります」等の注意事項があり、中に入る際に同意するシステムとかがありそうです。

で、この契約をふまえて前のシーンを考えてみます。
アラタとシーザー・ターラは第一契約のパートナーで、アラタと大地・両親はファミリー契約を結んでいます。アラタは契約内で当然全員と話すことが可能ですが、大地や両親はシーザー・ターラとは無契約です。でも普通に話していますし、なんなら室内に入ってもいます。つまりはパートナーのファミリー契約者とはある程度の接触が許されているってことになりますかね。もしくは無契約である場合には「会話を断る権利」があり(17話の「あなたと私はなんの社会的契約も結んでいない」)行使するしないは各々に委ねられているといった所でしょうか。39ページの「直に接触する」が身体接触なのか会話も含まれるのか、それで変わってきそうです。

39ページの終わりでは「地球降下」というまた聞きなれない言葉が出てきます。
ここに限らず宇宙や物理現象等の説明は、宇宙考証協力をなさっていた東京都立大学(連載当時の名称は首都大学東京)の佐原宏典教授が素晴らしい解説をなさってますので、そちらをご覧いただくといいと思います。
激しく酔っているアラタ。佐原教授の説明で「コリオリ酔いはメリーゴーランドなどで酔う感じ」と説明されてましたので、アラタは三半規管が弱い…というか全体的に感覚過敏なところがありそうです。宙港でのTHK番組を見ながらのシーザーが「宇宙に適応した人類って…」と爆笑していたそのものですね。

ここでのターラちゃん、服装だけでなく髪型もアクセサリーも前日とは違うのが細かいです。シーザーは同じ服…と見せかけて国旗の縞模様が違うので別の服ですね。
で、3人がいる場所ですが、電車内…と思いきや「喫茶ブルートレイン」という喫茶店のようです。第1話ではアラタのセリフに名称が隠れいていますけども、31話でも同様の施設を利用しているシーンがあり、そこでしっかりと名前が確認できます。
現代でも動かない車両を利用しての飲食施設は珍しくありませんし、コクーンでも「地球時代の懐かしい乗り物体験」として人気がありそうです。
肝心な飲食物は…とみると、おむすびメインの駅弁的なお弁当にティーパック式のお茶、ネットに入ったみかんと、いかにも鉄道旅行のお弁当といった雰囲気です。窓際に置かれているのは席備え付けの砂糖とかでしょうか。ふたつあるので片方は塩かもしれません。

ターラのホテルでもそうでしたが、喫茶の窓にも設置されている通信パネル。ここで表示されてるルイのメッセージはフランス語で、アラタはごく普通に読んでます。おそらく公用語は英語でかつ各々の文化圏の言語も習得しているコクーン人だと思いますが、アラタなら別の言語でもすぐに読みは覚えてしまいそうです。
シーザーセリフが「王様(ルイ)」なのは呼び方のニュアンスの違いを表現しているからでしょうか。シネマコクーンでの「ルイは芸術家だし」と合わせて、「あいつワガママだからなあ」的な意味合いを乗せた「王様(ルイ)
」呼びなのかなとも感じます。

で、肝心のルイ登場の京都コクーン入り口はまた次回。