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小林繁投手を忘れない


またもシンクロ⁈

『マイカレンダー2021春号』にマイマスターが寄稿。前身の『マイバースデイ』創刊が1979年。

小林繁投手が巨人から阪神にトレードされ、大活躍した年がまさに1979年です!

トラファンの判官贔屓に火を付けたのが『にっくき江川』そして宿敵巨人。

当時高校生だった私は、偶然同じ夢を持っているとわかった巨人ファンの同級生とあえて外野のど真ん中に陣取り、阪神VS巨人したものです。因みに彼女は夢が叶いCAになりました。巨人の定岡さんに機内で出会う!という彼女の執念の勝利です。

私といえば、のほほ〜んと、今考えるとなれたらいいな〜位の甘い気持ちで『月刊翼』(後に「月刊エアライン」「月刊スチュワーデス」に分岐)を眺めていたよ〜な。

他にはどんな雑誌を読んでたでしょうか……残念ながら「マイバースデイ』はあまり記憶になく…

他に購読していたのは『月刊タイガース』です、DEATH !

高3の卒業式の頃、「月刊タイガース」で阪神タイガースマスコットガールの募集があり応募、大学1年・2年の2シーズン勤めました。サンテレビの『ガッツ!タイガース』にも出ましたよ笑。今でも実家にベータのビデオあるんじゃないかな。

因みに小林投手が引退した年に私もマスコットガールを引退しましたw

つねに全力投球してしまうのは小林投手の影響。『悲劇のヒーロー』『男の美学』『ダンディズム』…もはや令和の今おもえば江戸時代か⁈と思うほどの魂燃ゆる武士道!洗練の流儀!シビレル…三碧木星だけに…電気ショック…ビリビリビリ…!!

今の時代からすれば、おそらくカッコつけすぎとか上から目線とか言われるかも…ですが。

時は昭和、戦場はプロ野球界。読売巨人軍という巨大な権力と若き「江川クン」に人生を狂わされ、それでも腐らずに見事にリベンジを果たした最後の武士、小林繁投手。

在籍期間は巨人のほうが長かったし、ご本人も最後まで巨人に未練はあったかもしれないけれど、私は小林さんは阪神の選手って思っています。

最後にこれまたシンクロかな⁈と思うのが、たまたまコバのこと思い出してHimalayaに1発録りしたのが東日本大震災から10年目の3.11。コバの命日は1.17(阪神淡路島大震災の15年後の同日)。
地震つながり。

いつか福井の本覚寺にお参りに行きたい。遺骨の一部が納められているらしい。小林さんが晩年過ごした福井には私が短い結婚生活をした敦賀がある。敦賀気比高校の平沼将太は少年野球で小林さんに指導を受け後に日本ハムに入る。最後のときの小林さんはその日本ハムのコーチだった。シンクロはキリがない。すべて繋がっている。



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