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野に、咲く。

第二話


朝起きる 「おはよう」 これがいわゆる普通の朝だ。

僕の幼少期の朝は少し違う     「生きてた!」で始まる。


お寺に預けられてたはずの僕は3、4歳になるころには寺に帰らず公園の遊具、漁港の船

神社などで野宿していた。

スケジュールは朝、寺から保育園(幼稚園)に登園  園での課程を終えた僕は

まずは父、母、姉がいるアパートへ行くが鍵がかかていて入れない。

玄関横の小窓から母が一言「お寺に帰りなさい」だ。


お寺に帰れば、おやつをいただき同年代のお寺の子達と遊び、あたたかいご飯に

あたたかい風呂、夜7時半就寝し、朝5時半に起床、6時には本堂でお経を唱える。

お寺にはおばあちゃんもいて毎朝、僕の顔を蒸しタオルで拭いてくれる。

朝食後は【ひらけポンキッキ】を見てのんびり登園する

快適そのものであるにもかかわらず、なぜ僕はたびたび寺には帰らず彷徨ったのだろう。

どんな毒親であっても子からすれば親なのだろうか?



ごくたまにアパートへ行くと父が玄関まで入れてくれる。

戸を開け狭い空間にステップがあり、そこまでなら入ることを許してくれた。

玄関のステップが僕の領域で寝ることもあった。 朝まで布団なし

離島の冬はもちろん寒い、春先の今頃も朝晩は凍えた。

公園の遊具には屋根付きのものもあるので野良犬、野良猫を抱きしめ‥寝る

港に碇泊している船は魚の生臭さはあるものの毛布があったりするのでとてもいい

‥が、たまに早朝から沖まで漁に出てしまい、船上で船のおじさんが寝ている僕を見て

子供が死んでいると事件になることも‥

神社は本殿が畳なので居心地もいいし、お賽銭を拝借してジュースやお菓子を買えた

このことから  朝起きる「おはよう」は  朝起きる「生きてた」で始まるのである。

40歳を過ぎた僕はその頃の僕に叫ぶ!

「おとなしく、寺にいろ!!」


つづく

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