続き①
毒母は私がお腹にいる時にお腹が大きくてもハイヒールを履き飲酒、タバコ、市販薬や調剤薬など赤ちゃんには害とされる事をやっていた。私が流れるようしむけていた。わざと転んだりお腹を叩いたりしていた。堕胎は世間体が悪いと反対されたからだと毒母は言っていた。私は堕胎して欲しかった。望まれない、愛されないなら産まれてきたくなかった、、、何度も毒母から「あんたなんか産みたくなかった」と聞かされて育った。私は早産の未熟児で生まれ″1090g″だった。それでもこの世に生まれてきてしまった。毒母は産院にいても母乳をやる事もせず産院から養父に連絡がいきその頃から毒母の育児放棄が始まった。私は未熟児だったため、半年間保育器の中に入っていた。
養父は長距離ドライバーだったため毎日は産院に来れない。そして養父の親は遠い県外。頼ったのは毒母の両親。私からみたら祖父母。祖父が毎日ミルクをあげに通ってくれていた。養父と交代で。
私も保育器から出て3歳まで祖父母宅で育てられた。祖父は私を大事に育ててくれた。毒母は数えるぐらいしか会いに来なかったと聞いている。祖母は躾に厳しい人で、でも愛してくれていた。ただ私は病弱で喘息が酷くよく咳き込み吐いていた。熱もしょっちゅう出していて祖父は走って病院まで連れて行く事が多かったらしい。成長も遅くハイハイも従姉妹と比べてかなり遅く喋るのも立つのも遅かった。髪がはえるのも歯がはえるのも、、、心配した祖父母は大きな病院に連れて行き検査を受け″発育不全でこれから先も知能・運動・記憶・内臓などの臓器もゆるやかに成長していく″と告げられたと言う。
私がお腹にいる時に毒母がしていた事が顕著に私に降りかかっていた、、、
つづく
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