いったい私は周りにどういう人間だとおもわれたいのだろうか
自分のことを好いてくれる人が、いつ反対の気持ちになるかを考え、自分の好きな人が誰かの悪口を言うたびに、いつか自分の悪口も口にすることを考え、怖くなる。
被害妄想だと言われればそうかもしれないけれど、本気でそう考えてしまうから厄介である。
どんな自分でいていいか分からなくて迷子になり、周りから見えているであろう私に染まろうとする。
ここまではnoteにあるたくさん溜め込んだ下書きの一つで
夜明けのすべてを映画館で観たとき、びっくりしたのが映画の冒頭部、
藤沢さんのこのセリフ
少し笑っちゃうくらい私のことじゃんと思った
ほんとに、いったい何を怖がっているんだろう
気にしすぎとか気にしないでいいのに
とかそういう次元にはもういなくて気にしないことなんて出来ない相談なのだ。
人の考えることは両極端なことばかりじゃないということを最近は考える。
笑っているけど涙が出たり
応援してるけど嫉妬もしちゃう
痩せたいけど美味しいものは食べたいし
"死にたいけどトッポッキは食べたい"もそうだった。
何事にもグラデーションがあって
反対のような気持ちだって同時に持つことがある
それが自然なことだということ
『正解を求めすぎるな』
話は変わるけどこれはおいハンサム‼︎のお父さんのハンサムなセリフ
0と1の間にはたくさんの選択肢があるから
色々なことを気にして、迷って、考えるけど
まず選んでみる
おいハンサム、
暑い日は作らなくてもいいやと思うけど
やっぱりあると安心するお味噌汁みたいに
しみじみと染み渡るあったかーいドラマだった
夜と朝は地続きであるということを初めて知ったのは、初めて夜通しで作業をした中学生の頃
NHKの放送は終わり、音のない暗いリビング
気づいたらカーテンが明るくなってきて、鳥や虫が起きてきて鳴き出す。
目覚ましのアラームみたいに決まった時間に鳴るわけじゃなくて、グラデーションにつながっていた
人の気持ちも、なにごとも
好きと嫌い、正解と不正解だけになんて分けられないなら
一つに決めつけなくて良い
いろいろ選んでみたって良い
どんな自分でいたら良いのか
間の中で迷って選んでまた考えて
小さな選択を積み重ねて、少しずつ先に進めていたらと思う。
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