放出。

昨夜のこと。何だこのもやもやの感じ。わからん。と考え続けて一晩、すごい疲れてさっさと逃げたかった。そんでちょっと逃げた。けれど今朝起きて洗面台ではっ!と降りてきた。

そうだ、ためらわずに出したいんだ、表現、かも、、!!

と静かにひとりですこーーんと腑に落ちた。

私は今感じている気持ちを、この瞬間に言葉にして話すのが得意じゃない。というか本当の気持ちを伝えるのが怖い。しかし、それを隠すのももどかし。って去年くらいからよく思うようになった。なんか違うな、と。

伝えようと躊躇している間にこの今感じてるエネルギーはどんどん古くなっちゃう感じがして、後でなんか違うってよく気づく。今のこの新鮮なエネルギーを早く出したいんだと無意識に思ってきた。

そこで思ったのが、私、本当は表現がしたい人なんだわ。

大学の時に写真を学んでいて、とても好きだった。何を撮るのかすっごい悩んで難しかったけど楽しかった。写真での表現。今でも好き。今の時代、綺麗な写真なら誰でも簡単に撮れる。結局、写真はその人そのものを写す。写真じゃなくても作品ってその人を写す。その中でその人にしか撮れないもの、とてもよく考えて撮られたもの、その作品の背景を読み込むのも、感想を言い合うのも好きだった。いやいや、感想を聴くのは好きだったけど、発言はめちゃ苦手だった、一生懸命何を発言するか考えてこの言い回し間違えてないかとかドキドキしっぱなしだった。本当汗かいたー

写真じゃなくても誰かが一生懸命その人を通して表現したエネルギーを観たり、読んだり、聴いたりして、その人を感じることがとても好きだし、幸せだし、あ、わたし自分もしたいタイプだったやん。って今更気づいた。

ほんで今。新しい職場で毎日毎日、本当にたくさんの発見、観るもの、体験すること、そこから感じること、気づきがたーーーくさんで、もう出したくて出したくて、でもなんかこのまま謎な感じで垂れ流しで放っておいたら消化不良と便秘になりそう。循環だ。循環したい。と思い、けど自分の考えとか思いをこういう場に書くのってなんかすごく嫌。なんかかっこつけてるみたいでやだなぁーー。っていう変な自意識が出てきた。いい文章書こうと、いい自分を見せようとかっこつけている自分、そのまんまの自分を隠そうとしている自分に気づいてしまった。気づいた以上無視できないので、そんな自分も含め放出すると決めました。笑

ということで。早速。

私今介護施設でご縁を頂いて働かせてもらっているのですが、この仕事、なんか人間の全てが詰まっている。陰と陽の両方。人間の弱さと強さ。興味深い。

(この仕事に限らず、向き合い方でどんな仕事もそう感じれるのかもしれないですね!)

そこでとても感じ、最終的に行き着くところが

・人間て、弱くて儚い、そして強い。

・人間て大きな宇宙の流れの中で何にもできない。何かしたことなんて本当の意味で実は一度もないのかも。生きる、というか何かに生が動かされいるだけ?!

・環境や育ってきた境遇って実は関係ないのかも、、?!いや、関係は少しはある。けれど神様が試していることって、その人捉え方の部分で、その人次第で本当に幸せにもちょっと幸せにも不幸せにも何でもなれる。なれる、というか結局自分で選んでる。んじゃないのか?

・なんか、人の生きる道、人生って矛盾、、の連続?!

大きな力に降参した人ほどその方らしく、のびのびと生きているような感じがする。たとえその方が身体的に何もできないとしても。 

わたしは利用者さんのお手伝いをしているようで、お手伝いさせてもらっている。人に上とか下とかなく輪っかが横にずらーーーって並んでいてぐるぐる回るその方の円に交わらせてもらっているだけで、みんなその輪っか一個ずつ持っていて、みんなでぐるぐる交わらせて良くも悪くも影響を与えあって最終的におっきな輪っか作っているのかもしれない。

何が出来るとか出来ないとか人生の最後には(実は最初から??!)あんまりもう必要なくて、ただただそこに居るだけですごいんだ。お世話をさせる。助けさせる。ってめちゃくちゃ徳の高いことな気がする。

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