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学びづらさに寄り添ってくれた人との出会い

この夏に22歳になる長男の乳幼児期を思い出すと辛いことしかない私。母乳飲まない、ミルク飲まない、夜泣きする、寝ない、ハイハイしない、食べない、歩くの遅い、ウンチするのに大泣き・・・・書きだすと今でも目まいがしそう。

なーんにも考えないで母親になった私は乳幼児期、学童期と育てにくさに加えて彼の「学びづらさ」という闇の中でいつも苦しんでいた。

なんで、こんなことが出来ないの?なんで読めないの?なんで書けないの?なんでわかんないの!!!!!!!の連続だった。(酸素ボンベ背負っていたいほどよ。)

それもそのはず発達検査を受けると軽度知的障害ということがわかったのだ。ましてや手先も不器用ときていたし、視力も眼瞼下垂といって特殊な乱視。身長の伸びも遅くて調べたら成長ホルモン分泌不全性低身長症という国の特定疾患だというではないか。

正直私の中では、あぁならば学びづらさがあって当然だよね。眼鏡かければ解決する話ではないんだもの。薬を飲めば解決する話でもなかったんだもの。

当時の私はひたすら考えて調べて、この子に合う学びはないか?と必死でした。ある時Twitterで「ディスレクシア」のことや子どもの未来について一緒に考えてくれる人の呟きをみつけます。読み書き障害?というのをその人により知る事で道が開けたのは確かです。今、その南雲明彦さんの本を読んでいます。


その頃の私もすぐに南雲さんにアクションしたんですよね。気さくにDMの返事を下さったので学校での困り事や学びづらさについて進路についての不安をDMでやりとりしました。

南雲さんは「良かったらお子さんと一度会ってお話してみたいのですが。」とおっしゃってくれました。やはり会ってみないと感じ取れない人の想いがあるということだったんでしょう。

今の私なら即答でお願いします!ですが、当時の私はネット上の人に会うことに抵抗があり、お会いするまで時間がかかりました。

南雲さんの活動はHPを見てよく理解できたので、その後、東京にいらした際に私と子ども2人と南雲さんで約束してファミレスでお茶をしたのがはじめましてでした。

その時、長いこと話を聞いてくれて娘がロイヤルホストのフレンチトーストだったかをおかわりした記憶があります。

しかし、今では新潟在住の南雲さんが仕事で東京に来るときに時間があると声をかけてくれて私たちの近況報告をすると笑顔で喜んでくれる存在。

コロナ前は講演会のお仕事で全国を飛び回る途中に横浜も寄るので!と声をかけてくれて飛行機にはまる二人に付き合って羽田空港をめぐったり、エレベーターにはまった娘にはエレベーター雑誌(あるんだよ業界雑誌が!)をプレゼントしてくれました。

振り返ると南雲さんから「あぁしなさい、こうしなさい」と言われたことは一度もないんです。失礼だけど何のために会ったんだろう本当に毎回趣味活に付き合ってもらっている?とさえ思うほど。ただ心に残るのはいつも『共感』してくれていたということ。

今読んでいる本の中では17歳の自分と大人になった自分が対話することで子ども達だけでなく保護者へ何か力になるメッセージがこめられています。常にご自身の経験を生かして、今も子ども達の未来のために同じ目線で道を歩んでくれる方だということをしみじみ感じとれる本。

だからでしょうか、会うたびに子ども達に対する視線が本当に鋭くて良さを見抜いてくれる洞察力というか。先日、2年ぶりにお会いした時も長男の相変わらずのマイペースさと鉄道愛の深さを見て驚きながらも感動してくれていたし、その日あいにく生理痛がひどく参加できなかった娘についても、自分の体を自己管理して成長を感じたとおっしゃってくれるパンケーキが大好きな南雲さん。

出会った時は知らなかったんですが、実は南雲さんは明蓬館高等学校の共育コーディネーターさんです。

通信制高校の中でも、これからの学びについて常に進化し続ける学校。そこにうちの娘は通っております。何か聞きたいことがあれば私のTwitterDMへ!

長男が通った岩谷学園高等学校についてはまた今度書こうかな。

それではまた。



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