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論争が面白くない【日々のこと】

最近スマホを触っていると、ちょくちょく出てくるペンギン池騒動。何やら落ちてはいけない池に芸人さんが落ちて、抗議して謝罪して云々と。そこから、この行為自体が面白い・面白くないとか、お笑いの為にやっていい・やっちゃダメとか、そもそもお笑いとは芸人とはと論争渦巻いているらしい…

小学生の頃、運動会で隣のクラスの人気者がはしゃいで盛り上がっている。少し動いて大きく叫べば爆笑である。私のクラスはしーん。調子づいたのか大きく動いて叫びまくる、大爆笑でした。こちらは変わらずしーん。何なら冷え切っている。その時に感じたんです。面白いの要素の大半は認知なんだなぁって。知らない人がどれだけ面白くとも知らない。面白まで興味が沸かないんです、知らないんだもの。知る気もないし。でも、知る気の前に面白を見せつけられるとそれはうざい。ゆえに面白くない。いや、面白いと隣のクラスの笑いが増す。全然、面白くないと私のクラスが益々冷める。論じてないだけで争っていたような気がします。

時が過ぎて人気者とは同じクラスに。楽しい子でした、愉快な人。面白いかと言われると私的には微妙ですが、でも笑いました。だって楽しいもの、友達だし素直に笑えます。

面白いってそんなもので論じても争っても何も生まれません。運動会の日に隣のクラスは楽しかっただろうし、私は彼と友達になって楽しかったです。面白いって、それでいいんじゃないかと思います。

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