結局似ている【日々のこと】

今月、妻と帰省する。お盆の替わりで一人暮らしの母の様子を見るだけのこと。特に考えることなどないのですが、あるとしたら夕食くらいで、それもお持ち帰りの寿司で事が足りると思っています。

私の母は良く言えば人に気を使う、悪い言い方をすれば度が過ぎた使い方に的外れな使い方が目立つという難点があります。例えば贈り物選び。御中元や御歳暮の類なので予算もそこそこに無難な物を送っておけばよいと私は思ってしまうのですがひたすらに悩む。相手が望む物は何か、喜ばれる物は何かと相手の好みも境遇もあまり把握していないのに大いに悩む。悪いことではないと思う。でも1時間、2時間と当てどなく悩んだ挙句に他の店も見てみたい、もっと良い品があるかもしれないでは生前付き合っていた父がうんざりするのも解る。結局は自分の納得する贈り物を選びたい母なのですが根が優柔不断なので決めきれない。そして送った後でさえも、やっぱり他の贈り物の方が良かったのではないかとまた悩む。悩むのが趣味なんです。

そんな母は、何かをしてあげたいタイプでもある。対して私は、極度にほっといてほしいタイプ。ここ数年、そのせめぎ合いで互いにストレスを溜めるという帰省が続いていました。実家ですからほっておいてくれても私に不便はないのですが、アレは要るかコレは要るかと求めてないものばかりをすすめて来る。どうやらチャンスを伺っているようで、隙あらば「コレはどう?」と的外れな物をまた持って来る。私は顔を上げただけ。別に何かを食べたいとキョロキョロした訳ではないのです。

動くのが億劫だと体の不調を嘆くわりには、じっとしてくれない。「お寿司を買って帰る」と伝えてもご飯を炊いていたこともある。「あったら食べるかなと思って…」というのが口癖の母。無駄なことも極度に嫌いな私はこういうことが続くと辛い。善意ということがよりストレスなのです。

解決策として、もう動いてもらおうと思いました。動ける範囲で今回は寿司以外の副菜を何か作ってもらおう。でも「何か」のままでは、それこそ量を含めて的が外れる恐れがあります。具体的な希望を出して、それの準備をしておいてもらおう。寿司にも合うし好物なので茶碗蒸しがいいのですが大きな蒸し器を使いそうな気がする。3人分だからと深鍋に浅く水を張ってなんてことはたぶん出来ない。レンチン蒸しはもっと出来ない気がする。ということで茶碗蒸しは却下。子供の頃に食べた母特有の料理でも頼んでみようか。喜ぶかもしれないし。でもレンコン料理なのが少し気になる。水煮スライスを馴染みの宅配購入で十分なのですが、母は生レンコンを買いたがるし自分で選びたがる。足が悪いのでこんな猛暑に買い物に行かれても困ります。そうなるとこれも却下。よもやの良案だと思ったのですが… そんなことを考えながら頼む副菜を悩んでいると1時間、2時間があっという間に過ぎていく。

血は争えません…

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