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朝のだれもいなさ

朝、目が覚めると、だれもいなくて、シーンとしていて。また今日も一日サバイバルがはじまったと、ふぅとため息をつきたくなる。

実家に帰省したり、友達と泊まりの旅行に行ったりしたときは、目覚めの身体の軽さにとてもびっくりした。まず、おはようと、声をかけられる人がいる、その安心感。嬉しさ。

それでも私は、自分の身ひとつで動いていける気楽さを選んでしまう。寂しさに引きずられて、就職後実家に戻るなんていう選択肢を選んでしまわないよう、あえて心を固めてしまってさえいる。

そのせいで、しばしば、一人で何もかもやらなきゃが加速して、どうしようもない寂しさ、不安感に打ちのめされそうになるときがある。

そんなときは、観葉植物の春萌(という種)のぷっくり具合を撫でてみたり、クラッシックのラジオアプリで、目をつむって、音を耳で追いかけてみたり、本に集中しようとしてみたりする。ほかにも、散歩をしたり、市民ジムに行ったり。

そんなことをしているうちに、時間が過ぎていく。

私がしているのは、主に、時間つぶしというか、寂しさを紛らわせるというか、単調なことばかりだけれど、

そんな中で、つい最近
「朝目がさめて、誰もいないことにきづく。誰もいないことが心地よく思えるのだけど、誰かといっしょにいたいと思うこともある。」
と、

もしかしたら、同じような世界を見ているのかもしれないと思える文章に出会えたときは、

幸せとはなんだろうとかいった、概念的なことを考えそうになっていた自分を、まぁ、でも、こんな生活でもいっか、と思えるようになるまで引き戻してくれて、心が軽くなった。

朝のだれもいなさを感じている人が他にもいると思えると、その空間が、次の朝から、和らいでいる感じがして、不思議だなぁ、ありがたいなぁ、と思った。ありがたいなぁと思えると、自然と心があたたかくなっていく。








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