必然性について

2021/4/6 寄稿

 前回は、主に宗教学の視点から記述してまいりました。今回は、「必然性」について考察をしてみたいと思います。ちょっと、学際的な記述になります。今回起きた現象は、学問分野を問わず研究者の方々の興味を集めました。私はこの現象を必然としか思えませんでした。それだもので、こうして皆様に世の中の様々な必然性について共有させていただき、一緒に考えていただければ嬉しいなと思いました。皆様は「必然性」について信じておられたり、感じたりすることはあるでしょうか。「自分はそういうのないんだけども」というお気持ちは、それはそれで、引き続き尊重させていただきたいと思います。

 以前から、様々な学問分野で広義での「必然性」について度々論じられています。まずは「セレンディピティ」という概念です。この言葉は1754年、"セレンディップの三人の王子"というおとぎ話にヒントを得て造り出したものでありセレンディップはスリランカの旧名で、この三人の王子は当初まったく当てにしていなかった珍しい宝物を偶然にも見事 に発見したという故事に由来します。偶然、意図せざる現象が大きな役割を果たし、イノベーション(幸運)に結実するというサクセスストーリーとして、語られることも多いようです。たとえば有名なものにフレミングが偶然ペニシリンを発見してしまった経緯や、他にも点接触トランジスタや、導電性ポリマーの発見など、いずれも意図せず生み出してしまった幸運ということが共通項としてあげられます。いずれも自然科学分野においても論じられていることが、大変興味深いですね。

 それから、ユング心理学でいう「シンクロニシティ(共時性)」や「コンステレーション(布置)」という概念があります。まずは前者から。これは「意味ある偶然の一致」とも呼ばれ、因果性と対比します。原因と結果の関係では説明がつかず、しばしば共時性ともいわれています。たとえば、「友人と待ち合わせしていたら二人とも同じような服を着てきた」や、「脳内で再生されていた音楽を、家族がいきなり歌い出した」、「今夜はハンバーグが食べたいと思って家に帰ると、ハンバーグが夕飯になっていた」など。皆様もそうした経験は結構ありませんか?ただの偶然かと今まで気にしなかったのですが、学んでみたらこちらも以前から研究対象になっているんですね。

 次は「コンステレーション(布置)」についてです。これは元々星座の意味であり、こちらも原因―結果などの因果律ではなく、そのように布置され、大局的にみたときに上手く繋がっているような現象です。たとえば私が元々先生方を存じ上げていたのは、テレビで拝見して認知していたからであり、しかしそのとき私は心理学に興味を持つなんて夢にも思わなかったんですね。当然、私のようなドジでノロマなカメが、通常の因果律でいけば先生方と所縁があるはずもないわけです。年齢も立場も地域も何もかもが違う。インターネットが必然性を更に加速させたのか、元々思想が興味深くて時々Twitterを拝読していたら、このような摩訶不思議な有難いご縁に繋がりました。こうしたものがコンステレーションの身近な例かと思います。

 続いて、「ラプラスの悪魔」について。ある瞬間のすべての物質の位置と速度を知り、かつそのデータを処理できる「知性」があれば、宇宙全体には過去と同様に未来においても不確実なものはないとしたものです。そしてそれはのちに「ラプラスの悪魔」と呼ばれることになる「全能の観測者」にとってはすでに未来が見通されているとする、ニュートン力学に基づいた決定論的宇宙観なんですね。主に物理分野での理論です。これはいわば機械論ですが、この世に「偶然」がないのであれば、人間の自由意志もそもそも否定されることになるわけですね。私がいまこうして主体的に原稿を書いているつもりでも、それは全て最初から規定されているのかもしれない。ギリギリ締め切り時間に間に合うかどうか、そしてその質や評価なども予め全て決められたものかもしれない。しかしこの理論に限っては、量子力学で既に否定はされているようです。ただ、そうした理論が学問問わず、どこかしこで立ち上がるというところに着目したいですね。

 最後に、「超弦理論(超ひも理論)」です。これもまだ未解明の理論なのですが、これが解明されれば上記の理論が、否、万物の理論が全てこれで説明できるのではないかと思われるスーパーウルトラ級のロマン溢れる理論なのですね。とか何とか茶化すのも失礼にあたるほどの壮大な理論なのですが、要約に努めると量子論、相対論、超対称性などが関係し、そして素粒子の正体というものが、小さなひものようなものであって、それらの余剰次元が集まって丸まってブレーンワールドを形成し、宇宙を成しているのではないかという理論です。そこでは3次元どころではなくいくつもの高次元が、私たちの見えないところで活躍してくれているとのこと。何とも、グリーンとシュワルツにより1980年代頃から二度「超ひも理論革命」のピークがあり、二度目ではなんとホーキングの計算とDブレーンから作ったブラックホールが一致したとのことで世論では大興奮。また、その後にホログラフィー原理の可能性や、ダークマターの正体を暴く有力候補の一つとして、いまなお賑わせ続けています。宇宙の仕組みが解明されれば森羅万象の理論も解明される究極の理論として、注目を集めているんですね。

 以上の「必然性」について反証可能性を付け加えるとすれば、というか単純に「必然性」を取り扱う際に私が考えるのは、必然性はときに暴力になるということです。厳密には、事象を必然性と規定すること。それは、本来因果律で考えなければならないことを共時律で捉え、責任放棄、思考停止してしまう危険性と表裏一体である気がするんですね。そして、他者が不幸に見舞われたとき、「それは必然だったんだ」、「意味があったんだ」と第三者が言葉を掛ける際には非常に注意しないと、とんでもない暴力になります。しかし、因果律を考えすぎても圧し潰されそうになるとき、自分のこころに「何か宿命だったんだ」と断念させることによるストレスコーピングがありますし、逆に共時律を発見して自分が怠けてあぐらを掻いているときに、因果律を思い出し責任性を考えることも極めて肝要だといえます。その意味でも、因果性―共時性と両方を自分のなかに保ちつつ、その時々で手綱を引くようにバランスを取れることが、今後に生きるうえでの智慧になるのかもしれません。


 引用文献:安達孝信『ゾラ「クロードの告白」における郊外と「自然」―ゴンクール兄弟「ジェルミニー・ラセルト ゥー」と比較してー』大阪大学(https://www.jstage.jst.go.jp/article/ellf/113/0/113_299/_pdf)

河合隼雄著『イメージの心理学』青土社、1991年

熊田誠『セレンディピティ』有機合成化学、第48巻、第9号、1990年(https://www.jstage.jst.go.jp/article/yukigoseikyokaishi1943/48/9/48_9_844/_pdf)

志賀敏宏『セレンディピティの構造研究』東京理科大学 (file:///C:/Users/ishiy/Downloads/1269A_AB.pdf)

ジーン・シノダ・ボーレン著、湯浅泰雄監訳『タオ心理学―ユングの共時性と自己性―』春秋社、1987年
竹内薫著『超ひも理論とはなにかー究極の理論が描く物質・重力・宇宙―』講談社

『Newton―超ひも理論―』2020年8月号、第40巻第9号、通巻469号

     



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?