読み手のほうにも本との出会いの運命がある。そして自分たちの運命であっても、それには時が経ってからしか知ることができない部分があることも確かなように思うのです──木田元『なにもかも小林秀雄に教わった』
木田さんの思想遍歴、哲学者になるまでの道のりを、読んだ本(読書)という視点で綴ったこの本です。以前に紹介した自伝『闇屋になりそこねた哲学者』とあわせて読むと、今年の8月に鬼籍に入られた哲学者の歩まれた道がよりわかるようになるのではないかと思います。
闇屋時代(?)にむさぼるように読んだ芥川龍之介、夏目漱石に始まり、生涯の格闘の相手となった哲学者マルティン・ハイデガーの読解にいたるまで木田さんはどのような本と出会ったのでしょうか。文芸評論家についてこんなことを書いています。
「文芸評論家たちが、あれがいい、これが面白いと、殊に古典についていろいろ教えてくれるものだった。文学のいいお師匠さんが大勢いたというわけだ。くわしいことはよく分からないが、いまも評論家たちが若い読者に対してそういう役割を十分に果たしているものなのだろうか」
木田さんのお師匠さんは、たとえば森有正、唐木順三、山本健吉、福田恆存、河上徹太郎、日夏耿之介さんたちであり、それらの先達を代表とする人として小林秀雄さんがいたということなのだと思います。それにしても恐るべき読書量だと思います。新体詩はもとより江戸の俳文(芭蕉、蕪村など)や滑稽本、バルザック、ランボー(小林秀雄訳!)はもとよりヘルダーリン、ドストエフスキー……そしてカント、キルケゴール、ニーチェ……。『闇屋になりそこねた哲学者』で木田さんの語学学習法の激しさ(厳しさ)に驚かされましたが、すべての読書について、その徹底性に驚かされます。キルケゴールの『死に至る病』を補助線にしてドストエフスキーを読むというのには、木田さんの戦後のくぐり方がうかがえて興味深い章でした。
その絶望とは何かと問い続けた格闘いの中で出会ったのがハイデガーの『存在と時間』でした。
「この『存在と時間』さえ読めば、絶望した人間の存在構造も解明され、自分の絶望にももっとうまく対処できるにちがいないと思われたのです」
難解なハイデガーの文章を読んだときに、それは歴史について書かれた文でしたが、木田さんはふと小林秀雄さんの批評文を思い出したといいます。ハイデガーは「小林秀雄の文章とかなり似たことを言おうとしている」「小林秀雄の(略)文章を読み慣れていると、いきなり読まされるよりもよほど楽である」と……。さらに
「ハイデガーと小林秀雄の関心にはかなり近いところがあり、ハイデガーを読みはじめてからも、小林秀雄から眼が離せない気のするところがあった」(ニーチェやベルクソンと小林秀雄を論じたものはあまりないのではないでしょうか。ぜひ木田さんに論じて欲しかった気がします)
「自分の精神の形成期――「精神」というのが目ざわりなら、「人格」でも「思想」でもいいいのだが――に、それを読みながら精神なり思想を形成していくというかたちで読んだものと、いちおう精神なり思想なりの骨格ができあがってから読んだものとでは、心に刻みこまれる度合いが決定的に違う」
こう綴る木田さんの世界には先達が導いてくれる古典の世界があり、誤解をおそれず言えば堅固な教養の世界があったのではないかと思います。その世界はどのように変容していったのでしょうか。今、私たちのまえに教養の世界はあるのでしょうか。あるとすればそれはどのようなものなのでしょうか。木田さんが、自分を導いてくれてた先達は何処へ行ってしまったのでしょうか。その使命を終えて図書館の奥へ行ったのでしょうか。そして、それに代わる「いいお師匠さん」たちは誰なのでしょうか。
「fatum librorum (本の運命)というものがあるのと同じように、読み手のほうにも本との出会いの運命というものがあるのかもしれない」
その通りだと思います。そして自分たちの運命であっても、それには時が経ってからしか知ることができない部分があることも確かなように思うのです。
書誌:
書 名 なにもかも小林秀雄に教わった
著 者 木田元
出版社 文藝春秋
初 版 2008年10月20日
レビュアー近況:「ねずみの殿様」こと斎藤隆夫を取り上げた番組を観ました。太平洋戦争や大政翼賛会結成の直前、国会で行った「反軍演説」が有名ですが、議員除名処分後に漢詩を残しています。「吾言即是万人声/褒貶毀誉委世評/請看百年青史上/正邪曲直自分明」(第七十五帝国議会去感)。「吾が言は即ち是れ万人の声」、奇しくも日曜日は衆議院選挙。未だ百年は経っていないですが、大事に一票を投じたいと思います。
[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2014.12.12
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3318
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