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美しい日本はどこにある? 私たちの大きな勘違いを気づかせてくれる、ユーモアとジョークあふれる日本論なのです──アレックス・カー『ニッポン景観論』

 この本は在日アメリカ人の日本文化研究者が今の日本にどのような素晴らしい景観があるのかを探索したレポート……ではありません! 私たちの景観・環境・風景がいかに浸食され(何によって?)、破壊され(誰によって?)放置され(私たちが?)続けているかを穏やかな、けれども怒りをこめたレポートです。アレックスさんのこの告発(といってもいいと思うのですが)にどのように応えればいいのか真摯に考える必要があるのではないかと思います。

 アレックスさんはまず身近な景観に着目します。電柱です……。日本の電柱事情(?)を取り上げることから日本の景観を論じていきます。なぜ日本にはこんなに電柱が多いのか。私たちが聞かされてきた「神話」をまず取り上げていきます。

神話1 電線を埋没する工事費が高いため、特殊な地域以外は財政的に無理。
神話2 日本は地震国なので、電線は埋設できない。

 誰もが一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。よく聞かされた説明です。アレックスさんはこの「神話を解体」します。
 神話1は「天下りが関与する会社に工事が独占的に任され、かつ、硬直した時代遅れの規制によって、安価な埋設方式開発が妨げられている」ので高いコストになっているのではないか。
 神話2は阪神・淡路大震災時の電柱、鉄塔の倒壊による被害を指摘し電柱の設置が大きな利点にはならないことを指摘しています。ともに私たちの思い込みに過ぎないのではないかと言っているのです。確かにこの神話を正しく(!)検証したという話は聞いたことがありません。アレックスさんのいうように、車の通らない道路やトンネルを作るより、同じ公共事業でしたら、電柱の埋設のほうが遥かに実利的に思えます。まして自転車の通行量が増加しつつある都会ではなおさら重要な課題ではないでしょうか。都会の(とりわけ路地の)電柱は大型車両の通行があるところではとても危険ですし(車両がふくらんで走るため)、その数たるや半端ではありません。(何メートルごとにあるのでしょうか)道路幅も実際は電柱分は少なく考えるべきではないかと思います。

「そもそも、この神話の前提としてあるのは「日本の国土は外国と違うから、できないという思い込みです。(略)「日本は独自の……」と始まるの話は大抵、「従来のやり方は変えられない」という結論で終わります。そして、その途中に述べられている理由も、大抵はこじつけです」
 と断じています。アレックスさんの発見した「神話」はまだ続きます。

神話3 看板が多ければ多いほど、経済効果があがる。
神話4 看板で細かく指導しないと、お客さんは戸惑ってしまう。

 日本に多い、看板についての神話です。どちらも根拠のないものなのではないでしょうか。確かに「「きれいにしましょう!」という看板にいたっては、この看板自体が町を汚くしています」というブラック・ジョークにしか思えないようなことも、確かに私たちは眼にします。看板はなぜ必要なのでしょうか。私たちのモラルの低下……などということではないと思います。(HITACHIの看板についての感想は皆さんでぜひご一読ください。アレックスさんのユーモアの質がよく出ていると思います)

「日本と同じように地震の多いカリフォルニアの「ビッグシュール・ハイウェイ」を見てみましょう。海岸線沿いに140キロ敷かれたこの道路には、派手な土木構造物は見当たりません。自然に対する「尊敬の念」があれば、技術と工夫次第で美しい道路を作る方法はあるのです」
 災害大国日本のコンクリートによる災害防止施策のありようを通観してアレックスさんがいたった結論です。

 景観をそこなっているのはビル群もそうです。
「日本では、人をびっくりさせるものを作る力が、すばらしい建築家の条件だとみなされてきたようです。周辺環境を無視するだけならまだ救われますが、そうではなくで、周辺の自然や歴史感覚をぶち壊すことこそが「現代的」で、「斬新」で、「創造的」、そして皮肉にも「国際的」だとされています」

 その結果起きたことは街の個性が消失した景観の出現です。多くの日本の都市を訪れたアレックさんがこの本でとりあげた写真を見てみれば一目瞭然です。ほとんど街の見分けがつきません。どこに独自の文化があるのでしょうか。看板だらけのモニュメント、古寺名刹でしょうか。

 私たちは大きな勘違いをしているのではないでしょうか。たとえば今や百害あって一利なしとでもいってしまいたくなる杉の植林事情、その経済事情が自然環境へなにをもたらしたのか。紅葉の消失による「四季から三季」となってしまった日本……。

 この本の圧巻は「日本風の景観テクノロジー」による世界の都市(ベェネツィア、ローマ、フィレンツェ、ノートルダム、アマルフィ等)の「モンタージュ写真」です。私たちが本当はどのような景観の中にいるのかをこれほどはっきり見せてくれるものはありません。シニカル過ぎるという人もいるかもしれません。けれどそれは私たちが「そのような景観」を見慣れていて、実は見ていないからなのかもしれません。

「師匠の故・白洲正子さんは、「愛しているなら、怒らねばならない」と、私に教えてくれました。(略)かつて屈指の美しい景観を持っていた日本は、今や無神経な破壊の道中にあります。これまでに失った景観が、どれほど貴重なものだったか。すでに失ったのなら、次ぎにどうやって取り替えせばいいか。みなさんもぜひ心に留めて、時には怒ってみてください」

 この言葉を実践し、古民家の再生等を実践しているアレックスさんの活動も紹介されています。効用・効果・効率・生産性の歪みをまずは正すことが景観を取り戻すことであり、地方の活性化やさらには観光立国というのなら、私たちの持っている(けれど失いつつある)、失ってはならないものをもう一度見つめ直すことが必要だと思います。それは、古き良きものの復活ではないと思います。そこに込められている人たちの生活知の発見なのかもしれません。そしてそれは、今の私たちの迷走をさまさせるものなのではないかとも思います。豊富な写真の持つ説得力を縦横に使った一冊だと思いました。

書誌:
書 名 ニッポン景観論
著 者 アレックス・カー
出版社 集英社 
初 版 2014年9月22日
レビュアー近況:久々に強烈な発熱。汗かいて着替えて水呑んでを延々繰り返し、校了の渦中へ前線復帰。滅多に一晩以上病人になれない野中、とはいえ今日ぐらいは編集長諸氏にも優しくして欲しいの❤︎(気持ち悪い)。

[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2014.11.27
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3272

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