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言葉が生きものであるということが持つおもしろさ、自在さ、そして怖さについて教えてくれる──小谷野敦『頭の悪い日本語』

 そうそう、あるある……と小谷野敦さんの辛口のコメントやジョーク混じりの解説を笑って読んでいるうちにふと立ち止まって考えてみると……自分もだいぶ『頭の悪い日本語』使っているなあと反省させられることしきりでした。

 この本は単に日本語の誤用や乱れをついたものではありません。言葉が生きものであるということが持つおもしろさ、自在さ、そして怖さについて教えてくれていると思います。ましてや、小谷野敦さんが書いているように
「90年代後半以降は、全体に日本語が、行政用語に引きずられて変化するようになっている」
 ということを考えると
「「たかが言葉、されど言葉」である。宇宙全体からみれば芥子粒ほどの地球の、そのまた芥子粒のような日本という国の言葉についてあれこれいうのもまた、人間というもののサガであろうと私は思う」
 というサガは私たちが失ってはいけないものなのではないかと思います。

 言葉が誤用であるうちは(へんな言い方ですが)訂正して正しく使えばいいだけだと思います。けれど言葉にやっかいなふるまいをさせることもあるようです。
「言葉は、現在、危機的状況にある。言葉狩り、差別語狩りは、かねて問題にされてきたが、むろん差別的な意図で差別的な語を使っていいわけではない。しかし、異論もあるのに議論しようとせず、自動的に言葉をいいかえればすむ、という姿勢が、新聞や、テレビ、出版界を中心に広まっているのは明らかに問題である。そういった状況の悪化を象徴するのが「看護師ファシズム」である。それまで法令上、男は看護士、女は看護婦だったのを、看護師に統一するとなったとたん、別に誰も「看護婦」が差別用語だと言ってもいないのに(私の知る限り)、突如として、新聞、テレビのみならず、一般書籍まで、「看護婦」が「看護師」に変えられるという異常事態が発生した。しかもそれについて、まったく議論がない。(略)国民の自発的ファシズムの様相を呈しているのである」

 危機をもたらしているのは言葉を使うものであり、言葉を受け取り流通させるものであるのはいうまでもありません。この本は、自分のふるまいかたを反省しつつ、でも小谷野敦さんのユーモアを楽しんで読む一冊ではないかと思います。

書誌:
書 名 頭の悪い日本語
著 者 小谷野敦
出版社 新潮社
初 版 2014年4月20日
レビュアー近況:昨晩は業務「ながら」観ですが、BSで放送していた映画『毎日かあさん』を。アニメ版よりもっと琴線に触れる可愛い「おとしゃん」の連呼、結末を知っているのに、涙が止まりませんでした。

[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2014.11.12
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3234

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