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さまざまな飾りを取り去った後で〈大いなるもの〉を感じた時にもっとも素直に、謙虚にそして誠実にふるまうこととは──田川建三他『はじめて読む聖書』

 全体の三分の一を占める聖書学者・田川建三さんのインタビューを中心に、9人のかたたちに「聖書を、誰が、どのように読んできたのかを問うた」(松家仁之さん)ものを集めています。

 やはり圧巻なのは「神を信じないクリスチャン」と自らを称している田川建三さんへのインタビューです。2007年から『新約聖書訳と註』という個人訳を刊行中です。(完結まであと3年くらいかかると田川さん自身が書いていますが)

「積極的に神を考えようとすると、どうしたって自分が神の像をつくるじゃないですか。そのとたんに神は神でなくなる。人間がつくる神のようなもの、というにすぎなくなる」
「わからない巨大な無限なものが向こうに広がっているというんだったら、正直に、その先はわからないのです、と言って、あとは黙って頭を下げればいいじゃないですか。それを知ったような顔をして、神とか何とか言ってしまうと、もうすでにわかったことになってしまう。下手にわかろうとするから、神とか何とか言いたくなるんです」 
 これが田川さんの神に対する考え方(姿勢)です。さまざまな飾りを取り去った後で私たちがなにか〈大いなるもの〉を感じた(直面した)時にもっとも素直に、謙虚にそして誠実にふるまうというのは、この田川さんの姿勢ではないでしょうか。

「神に行ってしまうと、今度は自分が考えた神から全部を説明しようとする。逆もどりの道です。そしてこの道をたどると必ず間違える。この神は、しょせん人間たちが勝手に考えて理論化した神ですから。おまけにかつて地上に生きていたイエスと結びつけなきゃならない。それは無理です。しかし彼ら(キリスト教会)はそこをつなげて、イエス・キリストは神である。神の子であるなら、キリストも神だ。しかしそうすると神様が二人になってしまって困るから、屁理屈を弄して、三位一体ということにしよう……。そうなると出発点の、なぜ自分たちが神を考える必要があったのか、というところが消しとんでしまう」
 私たちが〈神〉というものを生み出したことの陥穽をこのように話しています。人はなぜ〈神〉を求めたのか、〈神の名の下〉とは何かを考えさせる田川さんの発言です。

 田川さんの学者としての経歴もまた多彩です。その歩みを追うことでも数多くのことを教えられました。たとえば、教壇に立ったアフリカの地で、新約聖書学者としても名高い医師のアルバート・シュヴァイツァーが何をしたのか。彼の建てた病院で行われていたことは何だったのか。現地の人から見たシュヴァイツァーがなぜ「帝国主義者」と呼ばれているか、その地で生活した(しかも現地の人とともに)田川さんだから知ることができたのです。
「貧しい者をつかまえて、「幸いなるかな、貧しい者」と宣言してみたとてなんの意味があるのか。貧困は苦痛なのだ。幸福であるわけがない。しかしそれなら、幸いなのは豊かな者だけなのか。そうであってはならない。この世でもし誰かが祝福されるとすれば、貧困にあえぐ者を除いて、だれが祝福されていいのか」
 とてもラディカルな言葉だと思います。もちろんきわめて倫理的な宣言なのではないでしょうか。

 もちろん聖書学者・田川健三としての活動も語られています。たとえば、聖書はどのようなギリシャ語で聖書は書かれたのか、(古典ギリシャ語ではなく通俗的なギリシャ語というのですが)そのテキスト・クリティークの困難さを乗り越えて個人訳を完成させようとする姿には心うたれるものがあります。

 田川さん以外にも刺激的なエッセイが収録されています。
 ホロコーストを生き延びたレヴィナスに導かれるように旧約聖書に取り組んだ内田樹さんは
「神なしでも神が臨在するときと変わらぬほどに粛々と神の計画を実現できる存在を創造したという事実だけが、神の存在を証しだてる」
 と「ユダヤ教は無神論に近い」とタルムードの思考から導きだしています。これもまた私たちの先入観を正す、刺激的なエッセイです。

 橋本さんは独特の橋本節で搦め手から聖書の解読に向かい
「宗教ってものをもうちょっと気楽に考えたほうがいいと思う」
 と、じつにアクチュアルな結論に導いています。

 吉本さんのマタイ伝への取り組んだ時の回想、秋吉さんの旧約聖書の読み方など(このお二人は「本書のインタビューから時をおかずして逝去された」(松家仁之さん))を始め、他の方々の聖書観もとても読み応えがあります。

 もちろんこれで聖書のすべてが分かるというものではありません。また、ユダヤ教、キリスト教をすべてを知るというものでもありません。
「非宗教的に生きていると思いながら、「基本的に命令の言葉で綴られている」自己啓発書をいわば宗教の代用品として無意識に求めている」(松家仁之さん)
 それよりも、人間が〈神〉ということになにを求めたのか、そしてそれが私たちになにをもたらしたのかという歴史を考える必要があるのではないでしょうか。読みやすく、でも深い一冊でした。

書誌:
書 名 はじめて読む聖書
著 者 田川建三・山形孝夫・池澤夏樹・秋吉輝雄・内田樹・山我哲雄・橋本治・吉本隆明・山本貴光・松家仁之
出版社 新潮社
初 版 2014年8月20日
レビュアー近況:出張で大阪・天王寺の高層ビル「あべのハルカス」へ。学生時代、野中の通う学校はこの至近でしたが、様相一変。SF映画如くのタイムスリップ感覚、取り敢えず昔馴染みのラーメン屋さんで差分を埋めております。

[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2014.10.20
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3166

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