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私たちの凝り固まった精神を解き放つことを忘れてはいけないのではないでしょうか──白洲正子『西行』

「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」にふれて白洲さんは
「歌を詠むこと自体が、人間の最大の煩悩の一つであることを思えば、「心なき身」とは、ものの哀れを知ることが不十分なわが身にもと、と控えめな表現を行ったのではないか。そうかといって、特別謙遜したわけでもあるまい。心の底からそう信じて、自分の精神のいたらなさを嘆いたのだと思う」
と感じ、通説である「心なき身」というものを「ものの哀れを感じない世捨人」という解釈に異を唱えています。こういったところに白洲さんの自分自身の感性を信じた自由さが現れているのではないでしょうか。

この本は西行論でも西行研究でもなく、誤解をおそれずにいえば、“西行という男の時空間を旅した紀行文”というもののように思います。白洲さんは西行の足跡を訊ねて吉野の山奥を歩き、「みちのく」を旅します。その一足ごとに西行が現れ出でて、歩いているのが白洲さんか西行自身かが分からなくなるほどです。

西行の詞書について白洲さんは在原業平が詞書が多いことに着目し
「詞書が多いことでは、西行も人後に落ちない。(略)西行もまた、「その心余りて」、詞が追いつけなかったのだ。時にはあまり多くのことをつめこんで、歌の姿を壊すことなきにしも非ずであった」
と西行にもある特徴をあげ、そこに在原業平との共通点のひとつを見出しています。
「業平も西行も、詞書の助けを必要としたのであるが、詞書自体が美しいことも忘れてはなるまい。その長い詞書の中から、前者には「伊勢物語」が」生まれ、後者には「西行物語」が作られて行った」

藤原氏にうとまれたため高貴な出自にもかかわらず高位に着くことができなかった業平。白洲さんは業平の中に「隠者めいた素質」があったことを認め、そこに西行もまた惹かれていたのではないかといっています。『伊勢物語』の中の1首が『山家集』の中にあっても不思議ではないくらいに思えるとその両者の近親性に着目しています。

では、その近親性はどこからくるのでしょうか。それが「数奇」という二人の共通点だったのでしょう。「数奇者」というとなにやら軟弱さを想像しがちではありますが、決してそのようなものではありません。西行はもともと武勇の誉れ高い、北面の武士の出身でした。業平もまた「のびのびとした風貌と、些事にこだわらぬ放胆な性格」だったそうです。文武ともに知る者のありようこそが「数寄」というものだったのではないでしょうか。

白洲さんは西行の魅力をこう言い切ります。

書誌: 
書 名 西行 
著 者 白洲正子 
出版社 新潮社 
初 版 1996年5月29日 
レビュアー近況:バロンドールはクリスチアーノ・ロナウドでしたが(野中的にはノイアー残念)、同日発表されたFIFA会長賞をサッカーライターの賀川浩さんが受賞されました。御歳90歳(!)。1974年のW杯・西ドイツ大会から昨年のブラジル大会まで10大会連続で現地取材されているなど、キャリアは62年(!!)。英語でのスピーチがあるので受賞式参列を躊躇われたらしいですが「若い仲間たちからノイアーやロナウドやメッシに会えるだけでもいいじゃないか」と言われ決断、壇上からサインを求められたメッシが微笑んでいるシーンがカメラで抜かれてました。レジェンドに、拍手。

[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2015.01.13
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3382

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