見出し画像

人間的な社会とはなにか、人間にとって必要なものはなんなのか、幾たびも考える必要があるのです──山崎章郎『病院で死ぬということ』

 1993年の市川準監督で映画化もされたこの本はターミナルケアというものの重要性を世に問うたもはや古典といってもいいものだと思います。刊行以来、時が経ち、インフォームドコンセント、ガン告知についても、もちろんホスピスについてもいろいろ改善されてきていると思います(そう信じたいです)。
 けれどその、一方で
「ガンの告知に関しては、ほぼ一般化したと思われますが、最近では無造作に告げすぎるケースが問題になっています」(中村仁一さん)
 ということも起きているといいます。そんな「無造作な」ことが起きないためにも、この本に立ちもどって、この本にしるされた原点を忘れないようにするべきではないかと思います。もちろん医師も患者もですが。

 ガンの告知云々ということだけではなく読み直してみて強く感じたことがありました。それは患者の置かれている環境について触れられているところです。欧米のホスピスがキリスト教を背景としていることに触れて山崎さんは
「イギリスやアメリカのホスピスがうまくいっているのは、ホスピスケアを受けるものも提供するものも、キリスト教という共通の宗教的背景を持っているため、患者の宗教的ニーズにこたえやすいからだと指摘する人もいる。そして、宗教的背景の薄い日本でのホスピスケアは困難なのではないか、とする意見もある」
 そしてこのことに直面することをせずに、宗教の代わりに自然を持ち出している私たちの現状に疑問を呈しています。ある記事に触れて……
「「国立の施設で、宗教による精神介護はむずかしい。このため緑や野鳥など自然をふんだんにとり入れることにより、患者の心をなごませ、臨終のときを迎えてもらおうとの配慮云々」というものであった。これは要するに、宗教にかわるものとして、豊かな緑や野鳥などの自然環境をととのえて死を間近にした患者の精神状態を慰めようということであろう。(略)この発想は、終末期医療で、最も根本的で本質的なものを見誤っている可能性があるといえる」
 というのです。患者にとって大切なものはなにか。私たちは、自然とりわけ緑豊かな自然というと無条件に肯定してしまいがちですが、それは大きな勘違いだと山崎さんは言っているのだと思います。

「自然を美しいと感じたり、自然の中にいて心がなごんだりするのは、人がその自然と調和する心を持つときであろう。だから、もし人が、自分の病状もわからず、疑心暗鬼の状態にあったり、精神的なうつ状態であるときには、どんな美しい風景もただの灰色の壁でしかないだろう」
 言われてみればそのとおりです。つまり豊かで美しい自然環境や快適な病室が宗教にかわりうるものではないのです。大切なことは「患者が自分は決して孤独ではなく、自分を愛し、信頼し、共感してくれる人たちがいて、自分もまたそれらの人を愛し、信頼しているのだということを実感できること」なのです。それがあるからこそ「人はどんな場所でも闘病し、生き生きと生き、死を乗り越え、死を受け入れていくことも可能なの」です。

 それは多くの患者と関わった山崎さんの実感に基づくものでした。そしてこれこそがターミナルケアの核心なのではないでしょうか。
「自分は何者で、いま、どこにいるのだという存在の問題が解決されない限り、豊かで美しい自然環境も決して宗教的精神介護にはかわりえない」
 ということを私たちは忘れてはならないのです。

 山崎さんの問題提起から私たちは長い時を経てきました。それにふさわしい経験を私たちは積み重ねてきたのでしょうか。もちろん、死との向き合い方にはその人、その人の家族なりの仕方があるのだと思います。けれど、ケアというものを考えたとき、この本の重要性はいつまでも失われないのではないでしょうか。
「僕の前にも僕の後ろにもホスピスにつづく道はある。だが、いまだその道は狭く、険しい。僕はその道の整備に、医者を職業としている一人の人間として参加する。二十一世紀がテクノロジー万能の社会ではなく、少しでもより人間的な社会であることを目ざすために──」
 この山崎さんの問いに私たちは充分に応えられている、あるいは応えられる道を間違いなく歩んでいると言い切れるのでしょうか。そんなことを考えさせる一冊でした。

書誌:
書 名 病院で死ぬということ
著 者 山崎章郎
出版社 文藝春秋
初 版 1996年5月10日
レビュアー近況:本場(?)山形ではフツー河原でやるものですが、都心の海岸のバーベキュー場で週末「芋煮」をやりました。周りはみんなお肉を焼いておられましたが、野中のグループだけは芋を煮ます。毎度不思議な眼で見られるのにも、慣れてきました。

[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2014.10.27
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3186

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?