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なんのための経済(成長)であるのか、どのような世界を求めているのかを私たちは忘れてはいけないのです──宇沢弘文・内橋克人『始まっている未来』

 本年9月に鬼籍に入られた経済学者・宇沢弘文さんと経済評論家・内橋克人さんの対談を中心にして編まれた本です。
 宇沢さんは環境問題にも積極的な発言をされていた人ですが、この本でも市場原理主義のもたらす荒廃を激しく論難しています。ミルトン・フリードマンをリーダーとする市場原理主義者、規制緩和を中心とする構造改革のシナリオ作りをした竹中平蔵さん、中谷巌さん、島田晴雄さんなどを徹底的に断罪しています。(対談が行われたのは民主党政権前夜の2009年です)

 たとえば宇沢さんは市場原理主義がもたらす荒廃の一つの例としてフリードマンのこんな発言を紹介いています。
「麻薬をやる人は、麻薬をやったときの快楽と、麻薬中毒になったときの苦しみとを比較して、麻薬をやったときの快楽の方が大きいと自ら合理的に判断して、麻薬をやっているのだ。決して、麻薬を規制して、個人の選択の自由を制限してはいけない」
「黒人問題は経済的貧困の問題だ。黒人の子どもたちは、ティーンエイジャーのときに遊ぶか勉強するかという選択を迫られて、遊ぶことを自らの意思で合理的に選択した。だから上の学校に行けないし、技能も低い。報酬も少ないし、不況になれば最初にクビになる。それは黒人の子どもたちがちゃんと計算して遊ぶことを合理的に選択した結果なのだから、経済学者としてとやかく言うことはできない」
 と……。このフリードマンの発言を許容する人はいないでしょうが、宇沢さんによればフリードマンは本気で(?)主張していたようです。大げさだ、今はこのようなことはあり得ない、と思いがちですが、私たちのまわりで言われている「自己責任」というものにこの陥穽が潜んでいないとは誰も言えないのではないでしょうか。

 経済学は一体どうなってしまったのでしょうか。一時聞かれたセーフティーネットやサスティナビリティ(持続可能性)の論議は今どうなっているのでしょうか。経済成長至上主義(それは効率至上主義でありどこか市場原理主義に通底するものでもあると思えるのですが)の名の下で消されていってはいけないものだと思うのですが。経世済民が経済の語源だったはずなのに。

 宇沢さんは経済学の現状に対しても
「いま経済学は、これまでのケインズとも違うし、あるいはマルクス経済学とも違う。経済学の原点を忘れて、その時々の権力に迎合するような考え方を使っていて、その根本にあるのが、やはり市場原理主義というか、儲けることを人生最大の目的にして、倫理的、社会的、あるいは文化的な、人間的な側面は無視してもいいという考え方がフリードマン以来大きな流れになっている」
「経済学の本来の志を全く忘れて、その時々の政権に都合のいい言説を流していることについて、学生たちがそういう経済学を学んで、社会的関心が全くないまま、ただ自分の儲けを求めればいいという考え方が支配的になっている」

 このような現状に対して宇沢さんは社会的共通資本を中心とした新しい経済(世界)を提唱します。社会的共通資本とは
(1) 自然環境 : 山,森林,川,湖沼,湿地帯,海洋,水,土壌,大気
(2) 社会的インフラストラクチャー : 道路,橋,鉄道,上・下水道,電力・ガス
(3) 制度資本 : 教育,医療,金融,司法,文化
 というものであり
「社会的共通資本の管理・維持はあくまでも、それぞれの部門について、密接な関わりを持つ生活者の集まりや職業的専門家集団によって構成されるコモンズとしての立場に立ってなされなければならないということである。決して官僚集団によって官僚的な規準に基づいて管理されるものであってはならないし、また儲けることを最高の規準に位置づける市場原理主義的な立場に立つものであってはならない」
 ものです。それは「分権的市場経済制度が円滑に機能し、実質的所得分配が安定的となるような制度的諸条件を整備しよう」というリベラルな思考に基づいた新しい経済を求めていこうというものなのです。

 もちろんこれには行政のありようも問われなければならないものです。宇沢さん、内橋さんは
「経済財政諮問会議も制度的な問題があるのではないでしょうか。首相自らが諮問し、首相自らが議長の諮問会議で議論して、答申を出す。それが首相自らが議長の閣議に出されて、自動的に決定され、政府の正式な政策となる。ヒトラーが首相になって権力を握ったときと全く同じ方法です」(宇沢さん)
「官邸独裁ですね。世界で初めて「生存権」をうたい、もっとも民主的とされたワイマール憲法のもとにヒトラーが生まれました。政治的独裁の危険に通じます」(内橋さん)
 これは経済財政諮問会議だけではありません。有識者会議でも同様だと思います。このような会議が行政権行使(暴走)の追い風にはなってはならないと思います。

「自然環境と調和し、すぐれた文化的水準を維持しながら、持続的なかたちで経済的活動を営み、安定的な社会を具現化するための社会的安定化装置といってもよい」
 という宇沢さんの社会的共通資本という考え方は私たちが経済について考える時に決して手放してはならないものなのではないでしょうか。なんのための経済(成長)であるのか、どのような世界を求めているのかを私たちは忘れてはいけない、そのような警鐘を鳴らしている一冊でした。

書誌:
書 名 始まっている未来 新しい経済学は可能か
著 者 宇沢弘文・内橋克人
出版社 岩波書店
初 版 2009年10月14日
レビュアー近況:夕べは選挙特番よりもフジテレビ『THE MANZAI』に夢中でした。野中が大いに笑ったのはエレファントジョン(予選)、トレンディエンジェル(予選)、博多華丸・大吉(予選あっての決勝)。あと学天即のツッコミは素晴らしかったと思います。大阪朝日放送『M-1』復活も楽しみです。

[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2014.12.15
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3324

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