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〈戦後〉というものはいかにあやういイメージのもとに創られてきたものだったのか!──五十嵐惠邦『敗戦と戦後のあいだで』

 この本はまず4本の日本映画(『野良犬』(黒澤明監督)、『黄色いからす』(五所平之助監督)、『私は貝になりたい』(橋本忍構成のテレビドラマ。翌年橋本忍監督で映画化)、『馬鹿が戦車でやってくる』(山田洋次監督))の分析から始まります。この序章ともいうべき箇所で五十嵐さんは戦後日本から見た帰還者(外地、収容所からの帰還者)たちのイメージがどのように変容していったか、その素描を記しています。

 そしてその後、五十嵐さんは五味川純平さん、シベリヤ抑留者(吉田正さんたち)、石原吉郎さん、横井庄一さん、小野田寛郎さん、中村輝夫さんたちを取り上げて、彼らが戦後日本にどのようなものをもたらしたのか、また戦後日本は遅れて帰還した彼らをどのように受け入れたのか、その受け入れ方を詳細に分析していきます。
「帰ってきたときには既に、戦争全般だけでなく復員・引揚げの体験についての国民的な物語がすでにでき上がっていた(あるいはでき上がりつつあった)のである。戦後日本社会にとってみれば、彼らの帰還はそれまで注意深く意味付けされて来た戦争の記憶をはみだすものであり、何としても戦後パラダイムの中に押し込められてしまうべきものであった」
 
 なにより着目すべきなのは彼らが〈遅れてきた〉ということであり、その間、戦後日本はアメリカとの特異な関係性を基に(五十嵐さんは前著『敗戦の記憶』でそれを〈メロドラマ〉と比喩していました)復興と成長に猛進していたのです。

 この「注意深く意味付けされて来た戦争の記憶」とはなんでしようか。
「誰も望んでいなかった戦争に、日本全体を引きずり込んだ好戦的な軍部、というイメージのことである。このようなイメージは歴史的事実を必ずしも反映したものとはいえなかったが、それでも相互に憎しみあった日本とアメリカを、二つの友好国に変えてしまった戦後の物語の一部として広く受け入れられていった。民主主義的な可能性を持ちながらも、軍部の手によって翻弄されてしまった日本という国の物語といってもいいだろう」
 つまり、それは戦争の原因をすべて好戦的な軍部に負わせ、そして日本国民もまた被害者であるということを一般化させていったイメージというものだったのではないでしょうか。(海軍は比較的、非侵略的だったというイメージもまた生んでいたようです)

 このようなイメージの変容(創出)に対して鋭い違和を私たちにつきつけたのが五十嵐さんがこの本で取り上げた〈遅れてきた帰還者たち〉でした。彼らが体現したもの(生き様)、それを五十嵐さんはロラン・バルトにならって〈小さな歴史〉と読んでいますが、それらはまた戦後日本という〈大きな語り〉(イメージ)に不意打ちを与えたものだったのです。

 私たちが持つ(持たされた)戦後というもののイメージはあやうい基盤の上に作られたものなのかもしれません。とりわけシベリヤ抑留者は
「日本の軍国主義ではなく、あくまでもソ連の無法な行動の被害者となったのであり、そのため、死と破壊とを次ぎの世代のための無私の自己犠牲として意味付けた戦後日本に、居場所を見つけることができなかった」
 のです。その上さらにソ連からの帰還者ということでの偏見の眼にもさらされたのです。そして横井さんの発見は、経済成長によって自信が取り戻したかに見えた戦後日本でも、敗戦の傷が癒やされてなかったことを私たちに明らかにしたのです。

 では、小野田さんは、また終章におかれた中村さんの〈小さな歴史〉はなにを私たちに
教えているのでしょうか。
 そこには横井さんによって与えられたショックを回復しようとする社会・メディアの動きがあったと五十嵐さんは分析しています。

 この本は私たちがどのように〈大きな語り〉につつまれ、そのもとで戦後を作ってきたのかをあらためて考えさせるものでした。とりわけ石原吉郎さんの戦争体験に触れ、
「石原にとって、戦争体験とは、化石のように掘り出されることを待つ実体(死んだ過去)ではなく、それを認識する主体をも変容しつづけさせるような現在進行形のプロセスとしてのみ存在した」
 というような石原さんの戦後の生は幾度も私たちに今の日本はどのようなものの上に立っているものなのかを考えさせるものではないでしょうか。

書誌:
書 名 敗戦と戦後のあいだで 遅れて帰りし者たち
著 者 五十嵐惠邦
出版社 筑摩書房
初 版 2012年9月15日
レビュアー近況:仕事場至近のコンビニ、「素うどん」ならぬ「素カレー」が安く売られていて、見た目鮮やかなお弁当・お惣菜群の中、異彩。パッケージには「カウンターのコロッケやチキンと一緒に如何ですか?」の文言。成る程合点と同時に、まんまと術中。結局、カレー店に食べに行くのと、変わらない散財に。トホホ。

[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2014.09.30
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3106

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