見出し画像

音楽の魅力を追い、力一杯戦後を生きてきた湯川さんの心の底には音楽を超えた強い信念があったのです──和田靜香『音楽に恋をして♪ 評伝★湯川れい子

 湯川れい子さんといえば、ある年代以上の人にとっては中村とうようさん、福田一郎さん、星加ルミ子さん、木崎義二さんと並んで洋楽(ロックというよりこういった方が適していると思います)を日本に根付かせた音楽評論家(音楽水先案内人?)の一人として思い浮かべるのではないかと思います。
 また、ある年代以降は、売れっ子作詞家、音楽番組の審査員、近年では原発問題などに積極的に発言している人ということが、まず浮かぶかもしれません。(もしも「プレイガール」というイメージを持ったかたがいたとすれば、それは結構お歳のいった人ではないかと思います)

 この本は海軍軍人の一家に生まれ、戦中戦後を駆け抜けた(今も走り続けている)湯川さんの半生を描き出したものです。それはさまざまなことに思い悩みながらも、自分とはなにか、なにをしたいのか、なにをすべきなのかを追い続けた日々でもありました。

 戦争末期、急病死した父親、そして疎開した山形での日々。疎開先に届いた長兄の戦死の知らせ。兄は不条理な戦争に疑問を持ちながらも徴兵され戦死したのでした。そして疎開先から東京に戻った湯川さん一家の戦後の苦しい日々が始まります。

 ある日、ラジオから一つの曲が流れてきました。聞き覚えのあるその曲は長兄がよく口ずさんでいたものでした。この曲に心を揺さぶられた湯川さんは兄の遺品を調べてみました。そこには「アメリカ音楽のレコード・ジャケットを自らデザイン」したスケッチブックが眠っていました。兄は生前、アメリカのポピュラーミュージックに心ひかれていたのです。兄の遺品は湯川さんにとって一生のつきあいになる音楽と「アメリカの原風景」を教えてくれました。それが湯川さんの運命を感じさせる音楽との出会いだったのです。

 といっても、すぐに音楽評論家の道へ進んだわけではありません。英語力を磨こうと映画館にかよいつめる中で女優への道を選びました。研究生の日々(同期生に岸田今日子さんがいたようです)、なかなか陽の当たる場所に出られず煩悶の日々が続きます。そんななかボーイフレンドの一人が教えてくれたのがジャズでした。亡くなった兄が愛した音楽とはひと味も違った新しい、でもアメリカの音楽、湯川さんはすぐにジャズの魅力にとりつかれ足繁くジャズ喫茶に通い詰めます。けれど女優業もうまくいかず、会社つとめも続かず、いくつか仕事につくものの宙ぶらりんの日々が続きました。

 そのころジャズは日本中に広がり、空前のブームを引き起こしていました。ブームの必然でもあるように、「若者たちは軽佻にジャズを語り、ファンキーだの、シビレるだのと騒いで」いたのです。この風潮にうんざりし「それって違うんじゃない」と思った湯川さんはジャズ雑誌『スイング・ジャーナル』に思いの丈を綴った文章を投稿します。上面だけのジャズ・ブームに一石を投じたこの投稿は大反響を呼びます。それが音楽評論家・湯川れい子の誕生の瞬間でした。

 その後の湯川さんの活躍はとどまることを知りませんでした。ジャズからロックへまたポピュラー音楽へと活動の舞台は広がっていきました。音楽評論家となってからのミューシャンとのエピソードもこの本の読みどころだと思います。中でもマイケル・ジャクソンが人種差別の思いから湯川さんとエルビス・プレスリーについて意見をたたかわすところやモンキーズのメンバーだったデイビー・ジョーンズのベトナム反戦やアイドルとしての不安を語るところ、そしてもちろんプレスリーとジョン・レノンの話などです。

 けれどそのようなスターの裏話以上に湯川さんらしさがあらわれているのが初めてジャマイカへ行った時のエピソードではないでしょうか。本場(?)のバナナボートソングを聴いた感動、そして彼らに乞われるままに湯川さんが歌った真室川音頭(!)。
「〈音楽には国境や言葉は関係ない。身体で感じるこのリズムこそ大切なんだ〉心からそう実感し、ジャズだろうがポップスだろうが、アメリカだろうがイギリスだろうが、音楽を愛することは生きる喜びだと、初めて確信した」
 そんなシーンに音楽を心から愛している湯川さんの姿が浮かんできます。だからこそ人気だけを追うのではなく「真剣に誠実に音楽という小舟に乗って、ショー・ビジネスの荒波をひたすら生き抜こうとするアイドルたちの本当の姿をつたえたい」という気持ちが湧いてくるのでしょう。これがデイビーたちの心の動かし、そこにひそむ思いを湯川さんに語らせたのではないでしょうか。これはデビュー評論の時から一貫しているものだと思います。

 湯川さんの熱意は音楽の世界だけにとどまってはいません。近年の脱原発等の発言にも同じ姿勢を感じます。「〈ちょっとおかしいんじゃない?〉そう思うことは迷わず意見する。音楽評論と基本スタンスは同じだ」という原則がそこにはあるのです。

 読み進むうちに、この本には3人の主人公がいるのではないかと思いました。
「人間はみな与えられた命を精一杯生きていく。そこにはいつもその人たちに寄り添って、励ましてくれる音楽がある。好きな音楽をどんなときも自由に聴ける。それが理想の社会。音楽は決して私を裏切らない、一生の恋人だ」
 と語る湯川さん本人と、語られる音楽、そしてもう一人……おかあさんではないでしょうか。湯川さんの通底音となっているような気がしてなりません。湯川さんを動かしている奥に、時に厳しく、時に優しく、けれど湯川さんの気持ち、決心を尊重し続けたおかあさんの姿が行のあちこちから浮かんできます。これは、ある家族史と読んでもいいように思いました。

書誌:
書 名 音楽に恋をして♪ 評伝★湯川れい子
著 者 和田靜香
出版社 朝日新聞出版 
初 版 2012年12月30日
レビュアー近況:連休は同窓会で山形に行って参りました。芋煮、板蕎麦、烏賊の下足天、鰊煮……。地酒も進みすぎて、二次会ではド酩酊ド粗相を。皆様にご迷惑掛けながらも、心地良い時間を過ごさせて戴きました。

[初出]講談社プロジェクトアマテラス「ふくほん(福本)」2014.11.25
http://p-amateras.com/threadview/?pid=207&bbsid=3266

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?