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私たちは歴史化しえない(できない)無数の物語の中で生かされているのかもしれません。──小熊英二他『平成史』

27年という四半世紀を超えた「平成時代」ですが、小熊さんと同様に平成がどんな時代かと問われると「変化があるにもかかわらず、なぜ「大きな変化はなにも起こっていない」ように感じられるのか」という感覚を持たれる方も多いのではないでしょうか。平成はのっぺらぼうではありません。社会事件としてはバブルの崩壊、阪神淡路大震災、オウム事件、東日本大震災、政権交代、また特異な宮崎勤事件をはじめとする事件・犯罪も数え上げられます。にもかかわらず「平成」の時代を代表する出来事を取り上げにくいということに逆説的ながら平成史の特徴があげられるのかもしれません。そこで小熊さんは新たな方法で
「そうした「代表が成立しない」という状況を生んでいる、社会構造と社会意識の変遷史として描くしか、「平生史」の記述はありえない」
として
「そこでは、人物や事件の固有名は社会構造の一部としてしか意味を持たない。人物史や事件史としての「歴史の描き方」にしかなじみのない読者には、「こんなものが」歴史なのかという違和感があるかもしれない」(小熊さん)
ことを予感しつつこの本の執筆、編集にとりかかりました。「総説 小熊英二」「政治 菅原琢」「経済 井出英策」「地方と中央 中澤秀男」「社会保障 仁平典宏」「教育 貴戸理恵」「情報化 濱野智史』「外国人 韓東賢」「国際環境とナショナリズム 小熊英二」のジャンルについて平成史の正体に迫っていきます。どれも力作の評論です。

その中で、たとえばこのような文章が目に飛び込んできます。
「様々な夢に翻弄されながら選択肢を摩耗させていった「平成」──だが、その時代が格闘した課題からは今後も逃れることはできないし、残された資源を偏狭な国家主義のような当てのない夢に空費する余裕はもはやないだろう」(「社会保障」仁平典宏さん)
「平成期の政治的混迷は、有権者が政権と政策を選択するという普通の民主主義国家に日本が至る道程と見ることができる」(「政治」菅原琢さん)
けれどその民主主義は一方では
「現在の都道府県知事の二大供給源は、高級官僚とテレビタレントであり、それは同時に日本型工業化社会と日本型ポピュリズムの対立構図となっている」(「総説」小熊英二さん)
ことをもたらしている政治でもあることを忘れてはならないと思います。
「土建国家という空間ケインズ主義が、平成に入って破綻したことは明らかだ。一方でNew Public ManagementやGCR政策のように、これまでの再分配政策を破壊し生産性の高い(と計算される)大都市圏の平野部に富を集中させる選択肢が二〇〇〇年代に取られたが、こちらも成功したとは言い難い」(「地方と中央」中澤秀男さん)

「「平成」とは、一九七五年前後に確立した日本型工業社会が機能不全になるなかで、状況認識と価値観の転換を拒み、問題の「先延ばし」のために補助金と努力を費やしてきた時代であった。この時期に行われた政策は、その多くが、日本型工業化社会の応急修理的な対応に終始した。問題の認識を誤り、外圧に押され、旧時代のコンセプトの政策で逆効果をもたらし、旧制度の穴ふさぎに金を注いで財政難を招き、切りやすい部分を切り捨てた。老朽化した家屋の水漏れと応急処置のいたちごっごにも似たその対応のなかで、「漏れ落ちた人びと」が増え、格差意識と怒りが生まれ、ポピュリズムが発生している」(「総説」小熊英二さん)

平成を代表できると考えがちなテーマ情報化ですら
「情報化は、情報収集や消費行動といった「消費」の領域(私的領域)に影響を強く及ぼしている傾向が強い。イノベーションを生み出す、政策をつくる、公共的議論を立てるといった「生産」の領域(公的領域)では、まだまだ情報化ないしはネットワーク・メディアはさしたる影響を及ぼしているとは言いがたい。(略)インターネットはいまだ「夜」の世界のメディアなのだ。社会の実権を握り、動かしている政治や大企業の「昼」の世界は、いまだにマスメディアとハイアラーキー(階層型組織)によって動いている」(「情報化」濱野智史さん)
といった歴史なのです。

「「平生史」とは、一言でいってしまえば、「冷戦期で時間を止めてきた歴史」である。ある国が、自国が最盛期だった時代を忘れられず、その時代の構造からの変化に目をつぶってきた歴史と言ってもよい」(「国際環境とナショナリズム」小熊英二さん)

昭和史の戦後が敗戦までの戦前の処理(!)であったということにならっていえば、平成史とは戦後昭和史の諸問題の処理の時空間であったのではないでしょうか。平成時代はまだ歴史として(物語として)語ることはいまだできないのかもしれません。あるいは、かつて「歴史の終わり」(フランシス・フクヤマさん)ということが言われたことがありました。それは冷戦終焉=資本主義の勝利ということで語られたのですが、それとは違った意味で「歴史の終わり」に直面しているのかもしれません。これもまた「大きな物語の終わり」(ジャン=フランソワ・リオタールさん)というなのでしょうか。

歴史と物語とは語源を同一にするといいますが、あるいは、私たちは歴史化しえない(できない)無数の物語の中で生かされているのかもしれません。そこでは個人の物語が個性として称揚されることはあっても歴史という、未来を迎える土台になっているのかということは再考し続ける必要があるのかもしれません。

書誌:
書 名 平成史
編 集 小熊英二
著 者 小熊英二・貴戸理恵・菅原琢・中澤秀雄・仁平典宏・濱野智史
出版社 河出書房新社
初 版 2012年10月20日
レビュアー近況:関東南部、明日未明にかけて積雪の予報が出ていますが、よりによって今から少し遠出のお打ち合わせ。行ったきりになってしまう予感の悪寒に苛まれています。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.02.05
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=2871

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