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幾たびも喜びや悲しみに出会いながらも自分の生を生き抜くこと──若松英輔『生きる哲学』

若松さんが出会ったのは柳宗悦の言葉でした。それは「悲しみ」についてのものでした。
「悲しみは悲惨な経験ではなく、むしろ、人生の秘密を教えてくれる出来事のように感じられるようになった。(略)悲しみに生きる人は──たとえ、その姿が悲痛にうちひしがれていても──私の目には勇者に映る。勇気とは、向こう見ず勇敢さではなく、人生の困難さから逃れようともせず、その身を賭して生きる者を指す言葉になった」

この本で取り上げられた14人の人びとは若松さんのいう勇気を生きた人なのです。須賀敦子さん原民喜さんから井筒俊彦さんまで、その学識の卓越さもさることながらそれ以上に、彼女たち、彼らの生の形そのものが私たちに哲学、というより人の生きる形が持っている輝き(=勇気)というものを伝えています。「生きる」「歩く」「喪う」「聴く」「待つ」「感じる」そして「読む」「書く」等といった私たちの生のありようのなかで、人が生きるということがどのようなものであるか、その人たちが精一杯生きる中で見出した世界を若松さんは余すところなく語っているのです。

若松さんはこの人たちの人生の中でコトバというものがいかに重要なものであったかを語っています。
「コトバとは、存在の深みにあって、そこから何が生まれるか容易にうかがい知れない、塊となった根のような何ものかである」(「祈る」原民喜)
ですから、時にはリルケ(「待つ」)のようにコトバの啓示を待つことも求ありますし、「真のコトバが生まれるとき」(「感じる」神谷美恵子)に出会うこともあるのでしょう。またそれは「何かを表現するものであるより、表現することができない何ものかの周辺を縁取るものだった(略)彼(原民喜)にとって文学とは、言葉になり得ないものを、コトバに刻むことだったのである」(「祈る」原民喜)
というものなのです。

このコトバということに着目した若松さんは白川静さんの研究を補助線にしていることがこの本のあちこちに見受けられます。この白川さんには、かつて学園闘争があった時代ですら、研究室の灯りが消えることは一度もなかったし、また当時の学生たちも白川さんの研究室には手が出せなかった(?)という逸話があるそうです。コトバ、文字の探求者として傑出している白川さんは、あるいは15人目の存在として、ほかの誰にもまして若松さんには重要な人なのではないでしょうか。

どの人についても若松さんの視線は慈愛のようなものが満ちているのですが、さらに一つ大きな感動を生む章があります。
「読む」と題された皇后の章です。
「平成七(一九九五)年一月十七日、阪神淡路大震災が起こった。当時、日本全土から光が失われたかのような日々が続いた。しかし、東日本大震災のあとと同じように光は、外からもたらされたのではなく、悲しみを一身に背負いながらも、眼前の一瞬一瞬を懸命に生きる被災地の人びとによってよみがえったように思われる」
けれど
「灯はたしかに燃えていても、一つだけでは、ふとしたことできえてしまうかもしれない。(略)ふたたび灯が宿るためには、不可視な、もう一つの火花が、胸に飛び火しなくてはならない。こうしたとき人は、絶対的に他者を必要とする。ときに絶望の中にある者が、ある行為に遭遇することで、ふたたび顔を上げ行き始めることがある。そうした出来事が、阪神淡路大震災から二週間後、皇后美智子(一九三四~)が被災地を訪れたときに起こったように思われる」

「一束の水仙をもって現れ、焼け落ちた町の、まだ傷跡のなまなましい場所に静かに献花した」皇后の姿。「その水仙は、当日の朝、皇后が自らの住まいの庭から摘んできたものだった」
「花を摘むということは全身全霊で行う大地との対話であり、祈りだった」という意味を含んだ皇后の姿、それは「悲しみ」ということの重さ、価値(というとなにやら軽くなってしまいますが)を私たちに示していように思えます。
「他者への情愛は、喜びのうちにもあるだろうが、悲しみのなかにいっそう豊かに育まれる。なぜなら、悲しみは、文化、時代を超え、未知なる他者が集うことができる叡智の緑野でもある。喜びにおいて、文化を超えて集うことはときに困難なことがある。しかし、悲しみのとき、世界はしばしば、狭くまた近く、そして固く結びつく」

「世界は悲しみに満ちている。そこからは逃れることはできないと柳(宗悦)はいう。(略)真に「読む」ことが実現するとき、人はそこに描かれた悲しみによって、自らの悲しみを癒やすことがある」

皇后もまたある講演で一冊の本との出会いに触れて
「皇后は「読む」とは言葉を窓にした「悲しみ」の経験であり、「自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは、本を読むことによって」だったとも語った」
「「読む」ということが真に営まれるとき人は、言葉を窓に彼方の世界を生きることになる」
悲しみは一色ではありません。それは私たちになにか大いなるものに触れさせることにもなり、また私たちの世界が同じように、決して一色のものではないことを教えてくれるものなのでしょう。

「日々を生きることは難しい。生き抜くことはさらに難しい」(「目覚める」ブッダ)
幾たびも喜びや悲しみに出会いながらも自分の生を生き抜くこと、そこに生まれるものをあえて哲学と呼ぶこともないのかもしれません。足跡、それこそがそこを歩んだ人の叡智であり輝きのもとなのではないでしょうか。一冊まるごと書き写したくなるような確かな感動を与えてくれるものでした。

書誌:
書 名 生きる哲学
著 者 若松英輔
出版社 文藝春秋
初 版 2014年11月20日
レビュアー近況:スーパーボール、東京のFM局ではラジオ生中継が行われました。全編に渡って音楽がガンガン流れ、その合間に実況と解説と出演者の絶叫が入るという大騒ぎを楽しみました。ただ、NHK-BSの映像観ていないと、何が起こってるのか把握できませんでした、が。

[初出]講談社BOOK倶楽部|BOOK CAFE「ふくほん(福本)」2015.02.02
http://cafe.bookclub.kodansha.co.jp/fukuhon/?p=2861

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